母の口紅

鏡と口紅

母の化粧台

母の化粧台が気になったんだ

オイツーの痛い話』で、オイツーが小学生の頃に指を縫う怪我をした話を書いた。
ちなみにオイツーというのは、わたしの2番目の甥のことだ。
オイツーが母親(わたしにとっては姉)のドレッサーを触っていたときに、引き出しの中に入っていたカミソリで指を切ったという話だったのだが。

母親のドレッサーを触るというのは、子どもあるあるなのだろうか、わたしも子どもの頃に母親の化粧台をいじったことがあるのを思い出した。
あれはわたしが小学校の低学年の頃だったと思う。

両親が不在で家にいなかったので、ここぞとばかりに母親の化粧台を触り始めたのだ。母の化粧台は、ドレッサーというよりも化粧台という呼び方のほうがしっくりとくる、座卓タイプのものだった。

いまだに女子力が底辺のわたしだが、母親の化粧品が気になってしかたない時期があったのだ。そんな頃もあったんだねえ。
母が使っている化粧水や乳液のボトルを、珍しいおもちゃのような気持ちで眺めていたように思う。
そしてちょっとどきどきしながら引き出しを開けた。

赤い口紅

赤い口紅がきれいだった

母は若い頃は父と一緒に漁船で海に出ていた。だからということでもないのだろうが、母がメイクをしている印象はあまりない。
すっぴんで動きやすい服を着ている母の記憶が大半だ。

だがそんな母の化粧台の引き出しには、赤い口紅が入っていた。
子どものわたしは宝物を見つけた気分で、母の赤い口紅を手に取った。
くるくると口紅の容器を回すと、容器の奥から赤い紅が現れた。

真っ赤ではなかったと思う。そんなに濃い色でもなかった。
でもそのときのわたしには、とても色鮮やかな、大人の色に見えた。

母の大事なものをこっそり手にしているようで、容器から顔を出した口紅に、とてもどきどきしていたのを覚えている。
今にして思えば、あのどきどきは背徳感のようなものだったのだろうか。

化粧台をいじっているところを母に見つかったら怒られる、という怯えはあった。
いつ母が帰ってくるかわからないので、わたしは焦って口紅を元に戻そうとした。

うっかりひきだした紅をそのままにして口紅のキャップを閉めてしまったものだから、口紅の頭が見事につぶれてしまった。
口紅はまださほど使われていなかった。きれいな山の形を保っていたと思う。

くちゃりと頭がつぶれた口紅に、わたしはこの世の終わりのような衝撃を感じた。
つぶれた口紅を、今度こそ容器を回してきちんと奥まで入れる。
キャップを閉めて、元のように引き出しの中にそっとしまいこんだ。

つぶしてしまった口紅

つぶした!?

母の口紅をつぶしてしまったと、わたしはひどく落ちこんだ。
母が帰ってくるのが恐かった。すぐにわたしのしたことだとばれて、母に怒られると思った。

が、母が家に帰ってきても、次の日になっても、さらに次の日になっても、母はなにも言わなかった。
なにも言わないということは、母は口紅をいたずらされたことを気にしていない、あるいはいたずらを許したということだろうと、わたしは思った。我が母ながらその心の広さには感服だ。

と、子どもの頃は思っていたのだが、おそらく母は、わたしのいたずらで口紅がつぶれたと気づかなかったのではないだろうか。
普段はメイクをすることはない母なので、口紅を使うのはたまの機会のはずだ。

久しぶりに化粧台から出した口紅がつぶれていたことに驚いただろうが、前に使ったときにうっかり自分がつぶしてしまったのかと思ったのかもしれない。
母のうっかりぶりは自他共に認めていることだ。

母のうっかりで痛い目に遭ったことは何度となくあるが、あの出来事は、うっかりに感謝した数少ないうちのひとつだ。
とはいえ、黙ったままでいるのもアレなので、この機会にカミングアウトしようと思う。

母よ、ン十年前にあなたの口紅をつぶしたのはわたしです、ごめんなさい。
ああ、すっきりした。

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