
それはある夜のこと

なんてことを
右手に握りこんでいた部屋の鍵を振り回す。
先端が尖った鍵は白い車のボディにくいこみ、ぎぎぎぎ、と耳障りな音をたてる。
車が進んでいくのにあわせて、鍵がつける傷は長く伸びた。
ブレーキ音も高く白い車が止まった。
荒々しくドアを開けて車から人が降りてくる。
街灯に浮かび上がったのは若い男だった。
いかにも頭の悪そうな、だとちょっと表現としてはいまひとつか。顔つきも目つきも粗暴な、うーむ、下品が服を着ているような、とか、どうでもよくなってきたな。
とにかく悪そうな男だった。
「てめえ、オレの車になにしやがんだよ」
おお、口調も顔つきに見合っている。
車に長々とついた傷を見て、男の形相が変わる。
てめえ、とか、ババァ、とか、どうしてくれんだよ、とか、ざけんじゃねえ、とか、弁償しろ、とか泡を飛ばしている。
「しかたありません。警察を呼びましょう」
物語は進む
近くの交番の番号は手帳に控えている。
2人連れのお巡りさんはすぐにやってきた。
「あの男性が、あなたが自分の車に傷をつけたと主張していますが」
「そうですか、では、その主張こそが証拠ですね」
いぶかしげな顔をするお巡りさんと、なんだとこら、とわめく男。
いまにも掴みかかりそうな男を、お巡りさんのひとりが押さえている。
「どういうことでしょうか?」
お巡りさんに聞かれて、わたしは説明を始めた。
「わたしは今日、午後6時過ぎに会社を出ました。これは会社の同僚とタイムカードが証明してくれます。勤務先の最寄り駅まで行き、ちょうどはいってきた電車に乗りました。そして自宅最寄り駅で降りました。これはわたしの定期券が証明してくれます。毎日使っている駅ですから、もしかしたらわたしの姿を見覚えている駅員さんがいるかもしれませんね。最寄り駅はすぐそこ、背後に見えている駅です。そこからここまでは徒歩、この横断歩道を青信号で渡りました。対向車線に止まっていたのがこの白い車です。白い車は右折しました。その際にわたしの背中に接触したんです。車はそのまま通りすぎようとしました。車に接触されたわたしは体のバランスを崩し、バランスを取り戻そうとして腕を振り回しました。そのときに手に握っていた鍵が、わたしに接触した車をひっかいたんです」
お巡りさんも男も話に聞き入っているように見えた。
男の顔に血が上ってくる。
「その男性がわたしに車を傷つけられたと主張するなら、それこそが、わたしを当て逃げしようとしたなによりの証明です。なにしろわたしは会社からまっすぐここまで来たのですから、ここ以外に、この男性の運転する車と接触する機会はないのです」
びしい、と男に指を突けつける。
お巡りさんは男の腕を掴み、男はがっくりとうなだれた。
そして結末

忘れないからなあ
ということだったらよかったなあ!
必死で飛びすざったわたしの背中すれすれをけっこうなスピードで走り抜けていく白い車を歯ぎしりしながらわたしは見送る。
明日から五寸釘を手に持って歩いてやるからな、覚えてろ!