
抜糸は恐い
先般、人生で初めての手術を受けた。初めてにしては大がかりな手術だった。
なにせ手術室にいた時間は10時間だ。
そのときのどたばた闘病騒動については書くと長くなるので、ぜひ『ヘタれ闘病日記──顔面けいれんだと思っていたら実は脳腫瘍で右往左往する、ひとりの会社員の話──』をお読みいただければと思う。宣伝でした。
今回の話は抜糸について。
その手術の際に何針縫った(というか、止めた?)のか、正確なところはわからない。
縫合を担当した医師に聞いてみたが、数えてなかったからわからないと言われたのだ。
止めた数が多かったせいなのかどうか不明だが、抜糸は2回に分けて行われた。
1針おきに1回、翌日に残りの分、という具合だ。
1回目の抜糸の後、せっかくだからと記念に縫合跡の写真を撮っておこうと思った。
手術したのが後頭部だから、写真にでも撮らないと自分の目で見ることはできないのだ。
ちょうど姉夫婦が病室に顔を出してくれたので、上の姉に1回目の抜糸後の写真を撮ってもらった。
抜糸後で針の数が半分になっているので写真を見ても正確な数はわからないが、残った針の数からの目算で、全体の針数は30針ていどかと思われた。
迫り来る抜糸に怯える

抜糸が恐いよ
抜糸をする前、わたしは抜糸をすることに少なからず恐怖心を持っていた。
抜糸は痛い、とずっと思っていたのだ。
あの痛い抜糸を、いったい何針ぶん耐えなければいけないのか。
わたしは抜糸の日を迎えるのを怯えていた。
こっそり看護師に、抜糸って痛いですか、とリサーチしたりもしてみた。
看護師に、痛くないと思いますよ、と言われても信じきれずにいた。
担当の医師に、明日抜糸しますね、と言われたときは、頭の中でドナドナの曲が流れてきた。
いよいよ抜糸というとき、ドナドナは最高潮だ。
が、拍子抜けするくらい、あっさりと抜糸は終わった。
ほとんど痛みはなかった。
あれ、抜糸ってこんなもの?
はい終わりましたよ。残りは明日抜糸しますね。
穏やかに医師が言う。
あ、はい。
なぜだ、抜糸って全然痛くないよ。
わたしの長年の、抜糸は痛い、という思いこみはなんだったの?
あの思いこみはなんだったのか
あまりにも不可解だったので、姉夫婦が顔を出したときに言ってみた。
ははあ、と上の姉は合点がいったとばかりにうなずく。
「それはあれだよ。R病院のせいだよ」
上の姉が口にしたのは地元にある外科病院だ。
わたしも上の姉もお世話になったことがある。
「あそこの先生、腕はいいけど荒いんだよね」
上の姉が抜糸をしたときも(当時は糸で縫っていた)糸をぎゅうぎゅう引っ張られて、かなり痛かったらしい。
そうか、あの病院か。そういえば思い当たることがある。
たしかに処置が手荒な先生だった。
わたしは不慮の事故で右手の親指を脱臼し、ついでに親指の関節あたりに穴が空いて1針縫ったのだが。
R先生いわく、
「麻酔注射を打つのも、1針縫うのも一緒」だそうで、麻酔なしで縫った。
いやでも、注射は1回刺すだけだけど、縫うのは1回刺したら1回抜かないといけないよね!
いまのようなステープラー様のものではなく、当時は糸だったのだ。刺したからには抜かないといけない。
痛かった。指先という神経の集中している部分を、1針とはいえ麻酔なしで縫うのはとてつもなく痛かった。
右腕を看護師に2人がかりで押さえつけられて、わたしは必死で悲鳴をかみ殺した。
そしてこの先生は、抜糸も痛かった。皮膚を切られているのかと本気で思ったくらいだ。
わたしは自分のトラウマの原因にようやく思い至った。
おまえのせいか!(いや、治療は感謝しています)
こうしてわたしはン十年振りに抜糸に関するトラウマを克服することができたのだった。
縫合跡が美しい

縫合跡が美しいんだよ
話を今回の抜糸に戻そう。
半分に減った縫合跡を写したスマホの写真にわたしは見入った。
そこにあったのはプロの業だ。
手術跡は後頭部にある。左耳の上から首のつけ根まで、ゆるやかな逆S字を描いている。
その逆S字の上に、等間隔でステープラー様の針が止められている。
お見事、と称えたくなるくらいに見事に等間隔だ。
特にカーブ部分の針の流れ。
美しい。実に美しい。これをプロの業といわずしてなんといおう。
わたしは何度も何度も写真を見返した。
ああ、抜糸前の全体図の写真を撮らなかったことが心底悔やまれる。
しかし、担当の医師に「抜糸前に写真を撮ってください」と言う度胸はわたしにはなかった。
そもそもその時点では抜糸の恐怖により脳内でドナドナが流れていたのだ。
写真を撮るという考えも浮かんでいなかった。
わたしは手術跡(これも実に美しい。逆S字のゆるやかなカーブのなめらかさときたら、お見事の一言!)と針の姿の美しさに、この思いを誰かと共有したいと願った。
入院中も頻繁に連絡をくれていた友人のゾエにLINEを送ってみた。
『傷跡(針つき)の写真があるけど、見る?』
全力で拒否された。
解せない。