ある日の不幸な出来事

失敗した猫

その頃原付に乗っていた

これはわたしが20代半ばのころに起きた出来事だ。
わたしは車の免許を取るのが遅くて、その頃の移動手段は原付だった。原付で事足りるので移動にはそればかりを使っていた。困るのは雨の日くらいだろうか。屋外に止めているときはヘルメットがびしょ濡れになったりして不便だった。まあこのあたりの話は機会があれば別に書くとして。

これは原付を使っていた頃にわたしの身に起こった、ある日の不幸な出来事の話。
その日はたぶん休日だったと思う。どこかに出かける用事を済ませて、家へ帰ろうとしていた。

自宅までは原付であと10分くらいというところまで走ってきていた。
そのとき走っていた細い道路はレンガを敷き詰めたような感じのものだった。
年期が入っている道路でもあったので、ところどころレンガ用のものが浮いていたりして、走りづらかったのを覚えている。

わたしの前を1台の車が走っていた。特に対向車がいたわけでも障害物があったわけでもなかったと思うのだが、突然目の前の車が急ブレーキをかけた。のが、わたしの不幸の始まりだった。

車が急ブレーキをかけたことに驚いて、つられてわたしも原付のブレーキをかけた。
ブレーキをかけたはずみで、浮いていたレンガに原付のタイヤが取られた。
(そうだ、確かあのときは雨上がりで、レンガが濡れていたというのもあった)

わたしが運転していた原付は見事に横転して倒れた。横転した勢いで、ざざ、とすべってしまう。
わたしが横転したのに気がついていたのかいなかったのか、車はとうに走り去っている。

おかしくなっていた右手

親指がくの字に……

原付のような乗り物は倒れたときに生身への衝撃が大きいのが困りものだ。
痛ったああ、と思いながら、わたしはなんとか立ち上がり、倒れた原付を起こそうとした。

そのとき、自分の右手がおかしくなっていることに気がついた。
右手の親指が痺れていて感覚がなくなっている。

わたしは不思議に思って自分の右手に目をやる、と。
親指が、曲がってはいけない方向にくの字に曲がっている。

まだ痛みはなくて、ただ痺れているだけだ。わたしは、え、と驚いて右手をまじまじと見る。
親指は曲がっているだけではなくて、関節の少し下にぽかりと穴が空いていた。

おそらく原付のブレーキレバーに刺さったかなにかで空いてしまったのだろう。
まださほど血は出ていていなかったと思う。黒い穴だけが見えた。

その頃になると、近くの家やら商店やらから人がぽつぽつと出てきていて、心配そうにわたしに声をかけてくれる。
「大丈夫?」とどこかのおかみさんらしき人に言われ、あ、はい、ととりあえず答えた。

「救急車を呼ぼうか」とも言われたが、いえいえ、と慌てて断った。
意識を失っているわけでもない。救急車なんて大げさな、と思ったのだ。

とりあえず家に帰ろう、もうちょっとで家だし、とわたしは思った。
周囲の人にお礼を言って、なんとか起こした原付に跨がった。

スターターボタンを押そうとするも、痺れた親指ではなかなかボタンを押すことができない。
それでもなんとかボタンを押して、原付を走らせだした。

今にして思えば、我ながら無茶なことをしたものだ。
頭の中には家に帰ることしかなかった。

原付を走らせたはいいが、おそらくふらついていたことだろう。周囲を巻きこんだ事故を起こさなくてすんだのは幸いだった。
怪我の影響か、だんだん気分が悪くなってくる。
家まであと2、3分というあたりで、視界がすうと暗くなっていった。

視界が円になり、円が急速に小さくなっていく。円の外側は真っ暗だ。
自分でも気絶する一歩手前だろうなと思った。

それでも原付を走らせ続けたのだから、テンパっていたとはいえ考えなしなことをしたものだ。車の通りの少ない田舎道で本当によかった。
さて、なんとか無事に(かどうかはともかく)家にたどり着いた。
原付を玄関前に倒したまま、家の中に飛びこむ。

父に助けを求める、からの病院へ

よかった、父がいたよ

幸いなことに、そのとき父が家にいた。
寝転んでテレビを見ていた父に「怪我したから病院へ連れて行って」とわたしは頼んだ。

普段は縦のものを横にもしない父だが、わたしの様子を見てすぐに車の鍵を手にした。
玄関前に倒したままの原付は、その後少しして帰宅した母が起こしてくれたようだ。
家の中には誰もいないわ、娘の原付は倒れているわで、なにごとかと思ったことだろう。

父の運転する軽トラの助手席に乗って病院へ向かった。
特に病院を指定はしなかったが、父はなじみのある外科病院へ向かっていたようだ。
(そうです。『それはわたし編』の『抜糸考』で登場する、腕はいいが治療は手荒いという、あの外科病院のことです)

それまでは傷は痺れていてさほど痛みはなかったのだが、車に乗っている間にどんどん痛みが強くなってくる。
呻いているわたしを見て、父は前を走る車にクラクションを鳴らす。

父の運転する車に乗ったことは何度もあるが、父がクラクションを鳴らすのを見たのはそのときが始めてだった。
痛みに呻いているうちに、ようやく病院に到着した。

外科病院に到着して、わたしは窓口に飛びこんだ。窓口には看護師が何人かいたと思う。
わたしは右手の親指を押さえながら、すみません、怪我をして、と言った。

親指の傷から、窓口のカウンターにぽたりぽたりと血が落ちる。
なにかで傷口を押さえてくればよかったとそのとき思った。あの血は誰が掃除したんだろう、ごめんなさい、看護師さん。

血を流すわたしを見て、看護師は急いで処置室に案内してくれた。
待合室に父を残して、わたしは処置室に入った。

怪我の原因を聞かれて、原付で転んだと答える。
他に怪我がないか調べましょう、と看護師は言った。

打撲や内出血を心配されたのかもしれない。
看護師がわたしが着ていた服を脱がそうとする。
え、服を脱がすんですか?

ちょっと身をよじってしまった。看護師が心配そうに、どこか痛みがありますか、と聞いてくる。
「あ、いえ、今日はどんなパンツを穿いていたかな、と思って」

ウケた。ええ、ウケました。
こんなときにパンツの心配をした人は初めて、と看護師は声を出して笑っていましたよ。
いかなるときにも、たとえ血を流していようともウケ狙いに走ってしまうのがわたしというキャラクターですよ、ええ。
幸い体には他に怪我はなかったようで、そのまま医師の前に行くことになった。

治療は手荒いものだった、からの涙

麻酔なしですか!?

医師は40代ほどの男性だった。わたしの右手の親指を見て、ああ、脱臼してるね、と言った。
よもや骨折かと思っていたから、脱臼だと聞いて少し安心した。

が、安心するのは気が早いとすぐに思い知らされた。
「とりあえず脱臼を元に戻そう」
医師は、わたしの親指の先と手の甲を両手で掴んだ。ええぇ、と思っているうちに、力任せとしか思えない勢いで脱臼した骨を元に戻す。

自分の喉の奥から妙な声が出たのがわかる。涙で目の前が滲む。
脱臼の手当って、こんなに痛いの?
まだ痛みが引かないうちに、さて次は、と医師が言う。

「指を1針縫わなきゃいかんね」
そうなるかなと思ってはいたが、やっぱり縫うのかあ、とさらにへこむ。
少し前までは傷口はぽっかり穴が空いていると思っていたけど、今は内側から肉がちょっとはみ出てきている。これを入れないといけないよね。

だが悲劇はまだここからだった。
「麻酔を打つのも1針縫うのも一緒だから、麻酔なしで縫うよ」

え、今なんて、と聞き返す間もなく、医師の指示で、看護師が2人がかりでわたしの腕を押さえこみにかかる。
ちょっと待って、先生。縫うのって糸だよね。(当時は糸だった)

麻酔なら1回刺すだけだろうけど、糸で縫うんなら、1回刺したら1回抜かないといけないよね!
看護師に腕を押さえこまれたままの体勢では、わたしにはどうすることもできなかった。

指先という神経の集中した箇所に、医師が針を食いこませる。
わたしは奥歯を噛みしめて悲鳴を殺した。
痛かった。ええ、泣くほど痛かったです。ちびらなかった自分を褒めてやりたい。

その後は添え木(というか添え板)を当てられて、親指は包帯でぐるぐる巻きにされた。
当時は仕事でもまだ手書きで書く書類があったから、ものすごく不便だった。まあ自分のせいだけど。

治療は泣くほど痛かったが、この先生は抜糸もそうとう痛かった。皮膚を切られていると本気で思ったくらいだ。
このときの経験によって、その後長い間わたしは『抜糸は痛い』という思いこみを持つようになる。

後年わたしは大がかりな手術をすることになるのだが、そのときも抜糸をする前にはかなり怯えたものだ。

わたしの右手の親指は関節のすこし下に傷跡が残っている。
親指の関節は今でもよく曲がらない。
日常生活に特に不便は感じないからまあいいとしよう。職業にピアニストを選んでいなくてよかった。

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