
自分も痛手を受ける代わりに、相手にそれ以上の打撃を与える。捨て身で敵に勝つ。肉を切らせて骨を断つ。 ── コトバンク
わたしの無形財産の話
会社では電話を取ることが多かった。長年会社の代表番号を取る仕事をしていたが、1日に数十本の電話を取っていると、日に数本はおかしな電話がかかってくる。いわやる迷惑電話というやつだ。
1日に数本掛けることの年間の勤務日数掛けることのン十年で、わたしの中には数千の迷惑電話対応のデータが積み上げられた。
我ながら、これは無形財産といえるだろう。
(だがしかし、令和現在は『ゆるく生きる』を人生のテーマにしているので、無形財産を活用する機会はほぼなく、その記憶は着実に薄れている。無形財産って儚いなあ)
もっと自慢したいところだが根が控えめなのでやめておくとして、大抵の迷惑電話なら撃退できる自信がわたしにはある。
データが積み上げられていくうちに、わたしには妖怪アンテナならぬ迷惑電話アンテナができ、迷惑電話がかかってくるとアンテナが反応して戦闘開始のゴングが鳴る。(本当だ)
ある日かかってきた電話にわたしのアンテナは反応し、高らかにゴングを鳴らした。
高らかにゴングは鳴った

え、今なんて?
受話器の向こうからは、しゃがれた声が聞こえてきた。
「社長さん、おるかな」
わたしが社名を名乗った後の、先方の第1声がこれだ。
声を聞けばだいたいの年齢はわかるものだが、推定年齢は60代後半というところか。
アンテナが最大レベルで反応している。
いや待て、まだそうと決まったわけではない。うっかり怪しいと思いこんだら実は学生時代からの友人だとわかって冷や汗をかいたこともあった。
まずは穏やかに名前を聞くところから始めてみよう。
「わしのことはいいんじゃ。社長さんはおるんかい」
第2声がそれですか。
よろしい、戦いのゴングは鳴りました。お相手しましょう。
わたしの脳内データバンクには『迷惑電話撃退方法(相手に合わせて戦法を変えようインデックス付き)』が収まっている。
ふむ、今回は『くどい質問法』でいってみるか。
会社名と名前を聞かせてください(文章が長くなるので敬語表現は略)
「わしのことはいい言うたやろ」
用件を聞かせてください(文章が長くなるので以下略)
「なんでおまえにそんなこと言わんといかんのじゃ」
名前と用件を聞かないと取り次げません(文章が以下略)
「何回も同じこと言わすな」
何を聞いても相手は答えない。
それで取り次いでもらえると本当に思っていらっしゃる?
電話応対のマナーってご存じ?
もしかしてわたしが怯えて上司に電話を回すとでもお思い?
お顔をきれいにお洗いの上で、一昨日においでください。
同じやりとりがしばらく続いた。やりとりというよりすでに押し問答だ。
会社名と名前と用件を聞かないと取り次げない、社長が在籍しているかどうかも答えられない、と何回繰り返しただろう。
やがて推定年齢60代後半しゃがれ声男性が、引き下がる気配が電話の向こうでした。
あきらめたように太いため息をついている。
骨は切った。だがしかし、切られた肉が痛い

これは名誉の負傷ね
グッジョブ、とわたしはひそかに自分を称える。
「おのれはしつこいババァじゃのお」
男性は最後に捨てゼリフを残していった。
聞き終えたときにはすでに音高く電話は切られていた。
バ、
ババッ、
ババンババンバンバン?
いいえ違うわ。
彼はわたしに、湯けむりただようドリフの名曲を捧げたんじゃないわ。
彼はわたしに、
ババァと言ったのよ。言ったのよ!
そうね、声を聞けばだいたいの年齢はわかるものだものね。
推定年齢60代後半の彼は、わたしの声を聞いて、わたしにババァと言ったのね。
骨を切った確信はあった。きっとこの先、奴、失礼、彼がこの会社に電話をかけてくることはないだろう。
事実それ以降、奴、おっと、彼らしき人物から電話がかかってきた気配はない。
勝ったわね。わたしはひそかに勝利の快哉を叫ぶ。
でも、なぜかしら、切られた肉が痛い。
心が血の涙を流していてよ。
癒やされたい。
誰か、ああ誰か、わたしを温泉に連れてって。