
百円ショップで

やりきれないものを見たよ
近くのショッピングモールに買い物に行ったついでに、モールの中にある百円ショップに立ち寄った。
欲しいものがあったのを思い出したのだ。そこの店は種類も多いし品揃えもいい。
欲しかったのはひとつの商品だが、ひとつだけの買い物というのも味気なく、ふたつほどお菓子も買った。
商品を手にレジに向かう。レジにはアルバイトとおぼしきお兄さんが立っていた。
お兄さんは手際よくレジを打ち、まだレジ袋がサービスの頃だったので、打ちながら小さいレジ袋にわたしが買った品物を入れてくれる。
レジの人が袋に品物を入れてくれるというのは、買い物の点数が少ないときにスーパーでもよくやってくれていたサービスだ。
愛想はないが、丁寧な手つきだ。
支払いを済ませ、お兄さんが袋を手渡してくれる。
お礼を言って、袋を受け取った。
ちょっと、と険のある声をかけられたのはそのときだ。
その百円ショップはレジ台のななめ後方に、買い物客が品物を詰めるサッカー台がある。
サッカー台にひとりの女性がいることにそのとき気づいた。
声をかけたのは一人の婦人
女性は70代半ばと見える年配の婦人だ。
婦人の買い物はけっこう多かったようだ。大きなレジ袋が買ったものでいっぱいに膨らんでいる。女性は買った品物を袋に詰め終えたばかりのように見えた。
女性の尖った声は続く。
「なんでその人(わたしのことか?)には袋に入れてあげてるの。わたしにはしてないのに」
わたしのときにはレジを打ちながら袋に入れてくれたのに、自分にはそのサービスがなかった、と婦人は怒っているのだ。
それはさすがに無理があるだろう、と聞いていたわたしは思う。
袋に入れるのは、そのときのわたしのように買い物の点数が少なかったからこそのサービスで、大袋いっぱいの買い物をしてそのサービスを求めるのは無茶というものだ。
たくさん買われていたので、とお兄さんはぼそぼそと答えている。
婦人は詰め終えたばかりの大袋を両手に抱え、
「わたしの買い物も袋に詰めなさいよ!」
怒鳴って、袋をさかさまにひっくり返した。
袋の中には婦人が買った品物がたくさん入っていた。
15点か20点はあったと思う。
その品物が、サッカー台の上に、床の上にぶちまけられる。
わたしはかなり失礼な目つきを婦人に向けていたと思うが、婦人の怒りの顔はお兄さんに向いたままだった。
お兄さんは床にしゃがみ、無言でぶちまけられた品物を袋に入れ始めた。
婦人は仁王立ちしたままだ。
わたしの足は1歩だけお兄さんに向かったが、それ以上は動かなかった。
連れらしき人の反応は

やりかたを間違えているよ
婦人の数歩後ろに、子供を抱いた若い女性が立っていた。
その立ち位置と様子から、婦人の身内だろうと思われた。
娘か、あるいは孫か。娘にしては年が離れているように見えたが、いまどき年の離れた親子は珍しくもない。
わたしは子供を抱いた女性に視線を移す。
婦人の振るまいは、買い物客としても、ひとりの大人としてもふさわしくないものだ。
行動をたしなめるのは連れの役割だろう。
子供を抱いた女性と視線が合う。
一連の婦人の振るまいをどう捉えているのか、女性の顔にはなんの表情も浮かんでいなかった。
気まずさもないし、それがどうしたといった開き直りのようなものもない。
まるっきり、他人の行動を見る顔をしていた。
たまたま近くにいた他人なのかと思ったほどだ。
お兄さんは袋に入れた品物を婦人に渡し、婦人はひったくるような勢いで受け取った。
お兄さんは婦人の顔を見ようとはしなかったし、言葉もなかった。
袋を受け取った婦人は店を出て、その少し後に子供を抱いた女性も続いた。
2人が店を出るまで、わたしはレジ横に立ったままだった。
レジに戻ったお兄さんにわたしは口を開きかけ、結局なにも言えずに閉じた。
わたしが店を出たとき、駐車スペースに向かう婦人と女性の姿が見えた。
「おかあさん」と女性が呼びかける声が聞こえたが、婦人は振り向かない。
ああ、とわたしは思った。
あの2人は親子だったのか。そしておそらくは義理の親子だろう。
女性の放った言葉の堅さと距離感が、わたしの耳には「お母さん」ではなく「お義母さん」と聞こえた。
年の離れた夫の母親、と考えれば2人の年齢差も納得だ。
婦人はレジにいたお兄さんに怒りを向けた。
わたしに気を遣え、わたしを大事にしろ、と。
だけれど、婦人がその言葉を本当に言いたかったのはお兄さんにではないのだろう。
ひっくり返してぶちまけたかったのは、家で使うために自分で買い求めた品物ではなかったのだろう。
遠ざかっていく婦人の背中はかたくなだった。
婦人は言葉を向ける相手を間違い、やりかたを間違えた。
ありがとう。あなたのおかげで、わたしはきっと違うやりかたを見つけることができる。