1.宣告前後のじたばた

じたばたしてるよ!

その日、わたしは医師から宣告を受けた

K病院の診察室の椅子に腰かけたわたしの前には、青年と呼べるほどの若い医師がいた。医師はデスクの前に腰かけている。わたしが座っているのは医師の正面にある丸椅子だ。
若い医師、もっと詳しくいうなら若き脳外科医は、デスクの上に置かれたディスプレイを見た。


ディスプレイには、わたしがその日撮った脳のMRI画像が映し出されている。
ほほう、これがわたしの脳の断面図か、と画面を注視する。
わたしには脳の断面図だ、以上のことはわからなかったが、医師は、断面図の中心あたりにある丸くて白っぽい塊を指さした。
そして言った。


脳の中にできものがあります、と。


その日わたしはK病院で脳腫瘍を宣告された。

自覚症状はあった

自覚症状は左目の下まぶたのけいれんから始まった。宣告からさかのぼること半年ほどか。
さほど気にしてはいなかったと思う。なんだかぴくぴくするな、と思っていたくらいで。


いや待て。最終的に脳腫瘍と診断されたことを考えると、自覚症状はもっと前にさかのぼってあれになるのか。


ぴくぴくから、さらにさかのぼること1年半だか2年だ。

左足が冷えるようになった。元々足先が冷えやすく、毎年冬には足の指にしもやけができる。
その頃、左足の膝から下、それも外側の側面がやけに冷えた。その箇所にだけ冷風が吹きつけているかのような冷えを感じる。


冬場の職場には必須アイテムの膝掛けを、巻きつけるようにして仕事をしていた。
足は寒い時期は膝から下が、暖かくなっても足首から下は冷えた。


そこから半年ほど経ったら、今度は耳鳴りが気になるようになった。
ウイーンともヴーンとも表現しがたい耳鳴りがしばしばするようになった。これも左耳だ。
ひどいめまいを感じたのもこのころだ。自分の部屋で座椅子に座って本を読んでいたのだが、突然ぐらぐらと自分の体が揺れだした。
とっさに手のひらを床につけて体が倒れるのを防いだ。ぐにゃり、とカーペットを敷いた床が曲がる。
うわすごい、床が曲がってる、と、どこか人ごとのように感じていた。


ライトノベルなら、このまま床の渦巻きが体を飲みこむ場面だ。
だがしかし、残念ながらというか当然ながらというか、わたしが異世界に行くことも白い世界で神様に会うこともなく、ぐらぐらがおさまるまで両手を床について体を支えつづけた。

なにをしていても耳鳴りが気になるようになった。仕事をしていても、家で本を読んでいてもヴンヴンと鳴る耳鳴りで気が散る。自分以外誰もいない、テレビもつけていない部屋で、うるさい、と怒鳴ったときに、これはまずいかもしれないと思った。
その後耳鼻科に行ったが、異常はないと診断され、様子を見ることになった。


足のふくらはぎ(外側の側面)の冷えも、耳鳴りもしだいに治まってきてはいた。
その代わりのように別の症状が出るようになった。しびれだ。
職場では秋から初夏にかけて大判の膝掛けを使っていたが、それでも冬場には足の指にしもやけができていた。
足の血行が悪いのだろうと思っていた。だからこんなに足が冷えるのだと。


そう思っているうちに、左足がしびれるようになった。
しびれは左足の膝から下に起こっていた。
椅子に座って1、2時間も経つとじんじんとしびれてくる。
右足はなんともないのに左足だけがしびれる。
左足の裏に、薄い湿布を貼ったような、なんともいいがたい違和感を自覚したのも同じ頃か。


頭の隅に嫌な予感はあったような気がする。

脳梗塞とか心筋梗塞などの血管系の病名が脳裏に散らつくようになった。
『血流を良くする』といううたい文句の本をやたらに読んだ。


入浴するときの足のマッサージと、気がついたときに手をぐーぱーするのは習慣になった。
それでも、歩いている途中で突然左足に力が入らなくなって倒れるんじゃないかという想像が消えなかった。


夜寝るときは、スマホを枕元に置いていることを何度も確認するようになった。
布団に横になって目を閉じたときに、ふいに強い恐怖に襲われた。
わたしは一人暮らしをしているから、夜中になにか起こっても家人に助けを求めることができない。(枕元のスマホはせめてもの保険だ)
夜中に突然苦しくなったら、急に体が動かなくなったら、実家に電話をかけることもできなかったら。
眠るのが恐かった。朝になって体がちゃんと動くのを確認して安堵した。


そんな日々を繰り返していたが、とうとうとどめ、というか、もう逃げられない症状が出始めた。

顔がけいれんするようになった

顔にけいれんが出るようになった。

考えてみるまでもなく、ここまで症状が出たのは全部左側だ。耳鳴りも左。足がしびれるのも左。足の裏に湿布を貼ったような妙な違和感があるのも左。
けいれんが出たのも顔の左側だった。
最初はまぶたから始まった。左目のまぶたがぴくぴくとけいれんする。
間が抜けていると我ながら思うが、最初にまぶたがけいれんし始めたときは、まだ足のしびれや耳鳴りと関連づけて考えていなかった。というか、しびれとけいれんを関連づけたのは脳腫瘍を宣告されてからだ。そのときになって、ようやく、そういうことかと合点がいった。


だから最初はただの疲れ目だと思っていた。仕事でも家でもパソコンは日常的に使っている。
いろいろと(しびれとかしびれとか)気になっているときにまぶたまでけいれんするなんてついてないな、くらいに思っていた。
顔をマッサージしたり、目薬を点したり、目の周囲を温めたりしていた。


でも、けいれんの起こる範囲はどんどん広がっていった。
左目の上下のまぶたがけいれんするようになり、左頬がけいれんするようになり、最後は口元まで広がり、顔の左半面がすべてけいれんするようになった。


ここに至ってさすがに焦った。いやもっと早く焦ろよ、と突っこまれそうだ。
けいれんは軽いときとひどいときがあり、軽いときは左半面にさざ波が走るようだったが、ひどいときは左目が開かなくなるほどひきつり続けた。

ネットを検索しまくり、自分の症状や、病院に行くなら何科になるのかなどを調べた。
どうやら自分は片側顔面けいれんというものを発症したらしい、と思った。
脳内を走っている動脈が、顔の神経を刺激して起こるらしい。


女性に多い症状ともあった。病院は神経内科に行くことになるとわかった。
少しずつ知識は増えていった。
けいれんを押さえる薬はあるが、あまり効果はないらしいこと。
根治治療をしようと思ったら手術しかないこと。
この場合の手術というのは、顔の神経を刺激している動脈を神経に接触させないようにするものであり、つまりは開頭手術であること。
(頭蓋骨に穴を開けて手術する場合もあるようだ)


わたしの選択肢に開頭手術はとりあえずなかった。

ボトックス注射を打った

選択したのは顔面へのボトックス注射だった

そう、あのボトックス注射だ。正直、スケベ心も少しあった

選択肢として一番に上がったのはボトックス注射だった。
顔面に注射することで、けいれんを抑制する効果があるらしい。 
正直に言おう。ボトックス注射って美容外科でも使ってるアレだよね、というスケベ心も少しあった。


けいれんに悩んでいたんじゃないんかいと突っこまれそうだが、だがしかし、ボトックスとヒアルロン酸の単語に反応しない大人女子がいるだろうか、いやいない。
けいれんが収まり、副次効果として肌に張りが出るならそれはいい、ということで、わたしはけいれんの治療にボトックス注射を取り入れている神経内科を探すことにした。


幸い、勤務している会社のわりあい近くに1箇所、ボトックス注射の治療も行っている神経内科の個人病院を見つけることができた。
そのときには、すでに日常的かつ頻繁に左半面にけいれんが起こるようになっていたし、仕事中でも顔の左側を隠すようにしているわたしを、いぶかしげに同僚が見てくるようになっていた。
早く治療を受けたかったわたしは、さっそくその病院へ行ってみることにした。

それまで神経内科のお世話になる機会はなかったので初めて行く病院だったが、わりあいに患者数が多く、腕のいい医師なのだろうと安心する。

老紳士と表現したくなるような医師は、わたしの症状と説明を聞いたあとで、けいれんに関する話をしてくれた。
そして説明の後で「紹介状を書くから、大きい病院で脳のMRIを撮ってきて」と言われた。MRIを撮り、けいれんの原因が脳にあるわけではない(脳には異常はない)とわかってからしか注射などの治療をすることはできないらしい。

ここに来たらすぐにでも治療をしてもらえると思っていたわたしは焦って医師に訴えた。

頻繁にけいれんが起こっていること。すでに仕事にもプライベートにも支障が出ていること。早い治療を望んでいること。
治療を頼みこむわたしに、しかたない、という感じで老医師はうなずいた。
医師に「近いうちに必ず脳のMRI検査を受けること」という条件を出されて、ようやく治療を引き受けてもらった。


とはいえ、当日に治療ができたわけではない。
薬剤を取り寄せないといけないとか、治療する日までに本人と親族にサインしてもらう書類があるなどで、改めて診察日を予約することになった。


看護師から書類持参などの当日の説明を受け、ふんふんとうなずいていたら、看護師は笑顔で続けた。
「当日はメイクはしないでくださいね」
いやまあ想定内だ。だって顔面に注射しないといけないもんね。
だがセリフはさらに続いた。

「化粧水などもしないでくださいね」
え、そうなの?


「当日はお風呂は入れません。気になる場合は来院の前に入浴を済ませてくださいね」
当日の予約時間は夕方だから、会社は午後に半日休暇を取ればいいだろう。それなら一旦自宅に戻ってお風呂を済ませることはできる。
だがしかし、その後は化粧水すらしてはいかんとな?
化粧水が駄目なら当然日焼け止めも駄目だよね。
わたしは真夏の空を見上げながら思う。

会社に休暇申請をしたり、姉に事情を話して書類にサインをしてもらったりしているうちに日は過ぎた。
当日、わたしは午後休暇を取って一旦家に戻り、食事と入浴を済ませた。
微妙なお年頃なので風呂上がりには一気に肌が乾燥する。顔に化粧水をたたきこみたい衝動と必死に戦った。


メガネをかけ、マスクをし、日傘を深く差して家を出る。午後遅い時間になっていたが、夏の日差しはまだまだ強い。
すっぴんで外を歩くのがつらいが、これから電車に乗って病院へ行かなければならない。
会社の近くで病院を見つけたことをちょっとだけ後悔した。

顔面への注射は痛かった。はっきり言おう。けっこう、だいぶ、かなり痛かった。

左半面全体に10数箇所に分けて、1本分の注射を少しずつ打ってもらったわけだが。
頬などの、あるていど皮膚の厚みがあるところはまあいいとして。
上下のまぶたとか、唇の端とか、皮膚が薄い箇所への注射がめちゃくちゃ痛い。


お気に入りのネコ柄のハンカチを握りしめて痛みに耐えた。
そばに控えていた看護師が、あともう少しですよ、頑張って、と声援を送ってくれる。
ちょっと泣きそうになった。というか、完全に涙目になった。

というわけでなんとかボトックス注射での治療も終わり、その日は帰宅した。当然ながら注射後も化粧水などはできなかったので、お肌をかさかさにしたまま眠ることになった。
翌日からは普通にメイクをして会社へ行った。


ボトックス注射はけいれんに一定の効果があった。大きいけいれんは出なくなった。ただ小さいけいれんはやはり残った。
さざ波のようなけいれんが注射直後からも断続的に起こった。
治療後の感想としては、大きいけいれんが出なくなったことと、小さいけいれんが残ったことで、安堵と残念が半々というところだ。


ボトックス注射には思わぬ作用もあった。
たとえば歯磨きをしてうがいをするとしよう。すると、左側の唇のわきから水が飛び出してしまう。力を入れて唇を閉じているつもりで閉じられていない。
よもや、と、鏡に向かってにらめっこをしてみる。
やはりだ。あっぷっぷで唇の左側から空気が漏れる。
ボトックス注射を考えている人は参考にしてもらえたら嬉しい。(なんの?)

さて、仲のいい同僚には、けいれんの治療として左半面にボトックス注射を打つことを話していた。
美容に関心の高いその同僚は、わたしがボトックス注射をしたことにかなり食いついてきた。
出社したわたしの顔を、穴が空きそうなほど見つめてくる。
「左側の顔に張りがあるよー。いいなーいいなー」としきりに言った。


顔全体ならともかく左側だけ張りがあってもなあ。そりゃないよりあるほうがいいけどさあ、どうせならお揃いにしてほしかったよねえ。
医師に顔全面に注射を打ってくださいと言えなかった自分のヘタれさが悔やまれる。
言っても打ってもらえなかったとは思うけどさ。

医師の説明によれば、個人差はあるらしいが、注射の効果は3ヶ月ていどだという。
効果が切れたら次の注射を打つのかと聞いたら、1年は間を空けたい、せめて8ヶ月は空けたほうがいいと言われる。
3ヶ月で効果が切れるとしたら、その後の5ヶ月はまた大きいけいれんに悩まされることになる。
それは困る。次の手段を考えないといけないだろうか。


結論からいえば、注射の効果は3ヶ月も保たなかった。1週間かそこらくらいでもう大きいけいれんが復活した。
病院でそれを告げるわたしに、医師は「そんなに早く効果が切れるはずはないんだけど」と少し難しい顔になった。
医師にはわたしの病気の見当がついていたのかもしれない。

顔面へのハリ治療を受けた

医師と約束した、脳のMRI検査のことを忘れていたわけではない。
会社で定期的に受けている健康診断がかなり大きい総合病院で行われていたので、なじみもあることだし、そこでMRI検査のオプションをつけて受けようと思っていた。


ただ健康診断の時期が数ヶ月先であり、そのときでいいかと先延ばしにしていた。
受けたくない、結果を知りたくないという逃避の気持ちもあった。

短期間でけいれんが復活した以上、そして次の注射まで8ヶ月は間を空けなければいけないと言われている以上、わたしはボトックス注射に替わるなにかを考えなければいけなかった。

ネットであれこれと検索をする。『外科手術』のページはすぐに切り替えた。
次にわたしが見つけたのは東洋系の治療だった。つまり、ハリだ。
東洋医学には以前から興味があったし、それでけいれんが治まるというならハリをやってみたい。

顔面けいれんに効果があるというハリの治療をしてくれる鍼灸院を見つけた。
同じように顔面けいれんに悩む患者の話が載せられていて「ボトックス注射を打つ期間が何ヶ月も延びた」とある。
藁にも、と言っては失礼か。ハリにすがる気持ちで、わたしはその鍼灸院に予約を入れた。


自宅から電車で1時間ほどの場所にあったその鍼灸院は、お世辞にもおしゃれとはいいがたい雑居ビルの一室にあった。
年期を感じさせるビルを見上げたときには腰が引けたが、すでに予約も入れていることだしと思い切って入ってみたビルの内部は、意外にも(ごめんなさい)いたって普通だった。


鍼灸院は教室の半分ほどの広さだろうか。施術のためのハリと、美容のためのハリと、どちらもしているようだった。ちなみにそれぞれの先生は違う。

美容のためのハリ、にも心を惹かれた。そういえば美容に関心の高い同僚が、美容鍼にえらく食いついていた。写真を撮ってきて欲しいと頼まれたが、さすがにそれは難しかろう。施術中の先生に、ハリを刺したわたしの顔をスマホで撮ってくれ、と頼める勇気はわたしにはない。

顔のけいれんが治まって、気持ちにゆとりができたら美容鍼もやってみたいな、と思うくらいの余裕(というかスケベ心)がまだこのときはあった。

そういえば意外なことに、ハリのときはメイクをしていても大丈夫だった。
注射のときは化粧水もダメだと言われていたので、ハリもそうだろうかと思ったのだが、電話予約のときに確認したら、実にあっさりとメイクの許可が出たのだ。
注射の針と比べてこちらのハリはとても細いから、メイクをしていても影響がないとかの話だったと思う。ごめん、すでにそのあたりはうろ覚えだ。 


先生は40代半ばから50代頭くらいに見える男性だった。
初回ということで問診票のような書類に記入する。
先生の質問に答えたあとで、さっそくハリの施術を行うことになった。


ダメ元でちょっとしたお願いもしてしまった。
ハリを打つのはけいれんを起こしている顔の左側だけなのかと聞いたら、そうだという返事だったので、右側に美容用のハリを少し打ってもらえないかとつい言ってしまったのだ。


これはどんな状況でも好奇心を忘れないわたしの長所のひとつだろう。そういうことにしておこう。
先生の返事までに若干間があった気がするが、じゃあやってみましょうかと言われる。
よっしゃ、言ってみるものだ。

ハリは、まったくとは言わないが、ほとんど痛みがなかった。
身構えていたのが拍子抜けしたくらいだ。


ハリは打つ本数が決まっているようで、そのほとんどを顔の左半面に、少しの本数を右半面に打ち、さらに少しの本数を手首と足首に打った。
手首と足首にはお灸のようなものもしたと思う(ちょっとうろ覚え)

鍼灸院には月に2~3回のペースで通った。が、結局5回目だったか6回目だったかが最後の施術になった。
残念ながら、わたしのけいれんにはハリの効果はあまり出なかった


3回目の施術を終える頃には、ハリの先生にも「脳のMRI検査は受けましたか」と聞かれるようになった。

いよいよ脳のMRI検査を受ける

脳のMRI検査を受けた

器械は医療ドラマでよく見るのと同じだった

その頃に、予定していた時期よりも早く脳のMRI検査を受けた。

当初の予定ではもう1ヶ月ほど先の日程で検査を受けるつもりだったし、少なくともその期間はハリの施術を受けるつもりだった。
1ヶ月先に行われる会社の健康診断の時にオプションとしてMRI検査をつけようと思っていたのだが、そうすると検査代が全額自己負担になってしまうと、会社の総務からアドバイスを受けた。


ただし、通っている病院の紹介状があれば保険診療になるという。
わたしの場合は、ボトックス注射を受けた病院に紹介状を書いてもらうということだ。
そういうことならと、最初に診察を受けた病院の医師に相談して紹介状を書いてもらうことにした(当然だが紹介状を書いてもらうにもそれなりの金額がかかる)
紹介状を持って受診するのなら、健康診断の日程に合わせることもない。


というわけで、予定よりも早めに脳のMRI検査を受けることにしたのだ。
この時点で、最初に受診した病院でボトックス注射をしたときから3ヶ月ほどが経過していた。


注射もハリもしたが、顔のけいれんは続いていた。
軽いときはさざ波のようなけいれんが、大きいときは左目が開かなくなるくらいのけいれんが起こる。1日のうちに軽いけいれんは数え切れないくらい、大きいけいれんも日に数度は起こる。

けいれんは時間も場所も選ばずに断続的に起きる。自分の家にいるとき以外は、けいれんが起きたときに左目のあたりを隠すように押さえるクセがついた。

この頃には会社で「目をどうかした?」と聞かれることが増えてきた。
目でしょう、えへへ~、と答えにならないことを言ってごまかしていた。

MRI検査の予約は週のうちの決まった曜日しか取ることができなかったのため、当日は仕事を午後から休んで行った。
直属の上司にはとっくに体の不調はバレていたので、直属の上司と、仲のいい(美容に関心の高い)同僚にはMRI検査を受けに行くことを話していた。


MRI検査を受ける前に問診票に記入をする。問診票というか、アンケート用紙のような感じ。
閉所恐怖症かとか、以前に頭の手術をしたことがあるかとか、頭部に金属用のものが埋まっているかとか、あといろいろ項目があったが、まあこのあたりはわかるとして。


入れ墨、あるいはアートメイクをしていますか、という項目もあった。
入れ墨をしているとMRI検査を受けるときに支障がある(火傷をする可能性がある、だったかな)というのは本当らしい。
もちろんごく平凡な会社員であるわたしに入れ墨もタトゥーもない。


が、アートメイクはしたことがあった。
自分のまろ眉がコンプレックスで、眉を描いてもらったことがあるのだ。といってももう15年以上前の話だ。
かなり薄くなっているが、まだ影響があるだろうか。

とりあえず「入れ墨やアートメイク」の項目の「はい」を○で囲んでおく。
入れ墨とアートメイクってひとくくりなんだな、とどうでもいいことを思った。


問診票を書き終えて検査衣に着替え、全身の金属チェックをした後でMRI装置のベッドに横になる。
医療ドラマで時々見たことはあったが、実際に目にしたのはこのときが初めてだった。


感想としては、SFに出てくる冷凍カプセル装置みたい、というところだ。
ベッドに軽く体を固定され、大きな音がするとのことで、ヘッドホンを耳にあてられる。
なにかあったら押してください、とスイッチを手に持たされた。


装置の中に体が移動する。狭いトンネル形のMRI装置は、たしかに圧迫感があった。
閉所恐怖症の気があったら耐えられなかったかもしれない。


関係ないが、わたしには水中恐怖症の気がある。

お風呂やプールなどは平気なのだが、洗面器に張った水に顔をつけるととたんに動悸が速くなる。
水中に頭まで潜ってしまうと息苦しさと共に激しい恐怖感に襲われてしまい、とにかく水面に顔を出したくなる。
お察しだろうがほぼ泳げない。
なぜ自分が人生の一時期にスキューバダイビングをしていたのか、沖端七不思議のひとつだ。

MRI装置の中は、なんとなく息苦しいような気もした。意識してゆっくりと呼吸をする。
ヘッドホンをしていても、金属音のような、妙に響く音がしていた。


時間にすると数分間だったろうが、体感としては長い検査がようやく終わり「終わりました、お疲れさまです」とスタッフの声が聞こえる。
ベッドが装置の外に出たときは安堵の息をついた。
拘束を外してもらい、検査室の外に出る。スタッフのお姉さんがにこやかに話しかけてきた。
「アートメイクは大丈夫でしたか?」
あ、はい、大丈夫です、と答えながら、この場面で「入れ墨は大丈夫でしたか?」と聞かれた人はいたのだろうかとまたしてもどうでもいいことを考えていた。

MRI検査が終わったあとは、待合室に行く。あとはひたすら検査結果を聞くための順番待ちだ。
広い待合室に、診療する科目ごとにいくつもの診察室のドアが並んでいる。
わたしは『脳神経外科』とプレートのあるドア近くの椅子に腰かけた。


平日の午後だったが、待合室には診察待ちの患者が多かった。平日だから人は少ないだろうと思っていたわけではないが、総合病院とはいつもこんなに人が多いのだろうか。

本を読んだりぼんやりしたりで過ごした数時間後、ようやくドアの表示板に自分の番号が表示された。
診察室のデスクの前に座っていた脳外科の医師は、30代ほどと思える男性だった。

 
医師が座っているデスクの上に置かれているパソコンの画面には、わたしのものだろう脳のMRI画像が表示されている。
MRI画像を見たのはそのときが初めてだったが、へえ、これがわたしの脳の断面図か、くらいの感想しかなかった。
医師のデスクの近くに丸椅子が置かれていたので、わたしはそこに腰を下ろした。

宣告された

医師はカチカチとマウスを使って画像を操作しながら、わたしに向き直った。
「沖端さん、脳のこの部分に白い塊があるでしょう」
医師の口調は穏やかだった。


医師が操作するマウスの白い矢印を見ながらわたしはうなずく。
おそらく努めてそうしているのだろう穏やかな口調のままで、医師は続けた。
それはわたしにとっては予想外でもあり、どこかで恐れていた言葉でもあった。


「脳の中にできものができています」


今ならわかるが、医師はできるだけわたしに衝撃を与えまいとしたのだ。
だからあえて『腫瘍』と言わずに『できもの』と言った。


医師は丁寧に話を続ける。

脳内にできものがあること、それがかなり大きいこと、おそらく神経に絡んでいること、顔のけいれんもそれが原因である可能性が高いこと。
断言はできないが、おそらくは良性であること。


できものは薬で小さくなるたぐいのものではない。大きくなることはあっても小さくなることはない。
今は顔のけいれんが主な症状だけれど、今以上にできものが大きくなれば他の症状が出るようになること。
その症状とは、耳が聞こえにくくなったり、物が二重に見えたり、物が飲みこみづらくなったり、歩くのにふらついたりするようになること。


そうなると今よりもっと手術が難しくなるから、今のうちに手術をして摘出したほうがいいこと。
医師にいくつか質問をしたような気もするが、あまりよく覚えていない。
手術するなら会社は休職することになるのか、と考えたことは覚えている。
どのくらいで仕事に復帰できますか、と聞くわたしに、入院で2週間、自宅療養で2週間。復帰まで1ヶ月は見ておいてください、と言われる。


セカンドオピニオンみたいなもので、もうひとり別の先生に話を聞きましょう、と若い医師は言った。
この病院の脳外科の部長で腕のいい医師がいて、手術をするならその医師が執刀することになるだろうと。
今日はその医師が手術中なので話を聞くことはできないから、別の日に予約を取りましょう、と続けた。


「そのときは家族のかたにも同席してもらってください」
医師の言葉にわたしはたぶんぎょっとした顔をしたのだろう。
本人だけではなく、家族にも聞かせないといけない話になるのか。
若い医師はわたしをなだめるように「いや、客観的に話を聞ける人がいたほうがいいということですよ」と続けた。


既婚ですか、と医師に聞かれて、いいえ、と答える。
こんな時だが、いい時代になったなと思う。
ふた昔前なら既婚かどうかの確認もなしに「次はご主人と一緒に来てください」とでも言われているところだろう。
「ではご両親は?」
父は要介護状態だし、母は高齢だ。どちらも同席は難しい。
「ではご兄弟は」
どうにも誰かを同席させないといけないらしい。


実家で両親と同居している姉夫婦に頼ろう。

「姉夫婦に同席を頼みます」
心中で、姉ちゃん、義兄さん、面倒を持ちこむことになってごめん、と謝った。
次回の予約日を決めて、その日は終わった。
午後一番で病院に来たのに、病院から出たときはすでにあたりは暗くなっていた。


頭の中は混乱状態が続いていた。
白い塊、脳外科手術、入院、1ヶ月の休職。
上司に報告しないと。実家へ行って親と姉夫婦に相談しないと。
ぐるぐると同じ考えが回るだけで、ちっともまとまらない。

会社へ報告。同僚に泣かれた

わたしは一人暮らしをしていて、実家からさほど遠くないところに部屋を借りていた。
単身用の1Kだが、ひとりなら十分な広さだ。
部屋の中にぺたりと座りこんだ。


あたりまえだが部屋にはわたしの他に誰もいない。
クッションを抱きしめて、顔を押しつけるようにして声を上げて泣いた。あたりまえだが、なぐさめてくれる人はいない。
一人暮らしは性に合っていて、特に寂しいと感じることもなかった。
でもそうか、こんな風にひとりで泣かないといけないのかと思った。


いや待て、昔飼っていた猫を事故で亡くしたときがあった。あのときは実家に住んでいたけど、やはり部屋の中で、風呂場でひとりで泣いていた。
どこにいてもこんな風にしか泣けないのかもしれない。
病院で宣告をされたその日はやたら泣いた。布団の中でも泣いた。こんなに泣いたら目が腫れるんじゃないかと心配した。明日も会社に行かないといけないのに。

翌日は、細い針でつついただけでパンとはじける水風船のような気分で会社へ行った。
更衣室で制服に着替えながら、なんとか気分を落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。


洗面所に行くと、仲のいい同僚がいた。アイメイクの仕上げをしている。
彼女は、わたしが昨日MRIの検査を受けたことを知っている。
洗面所の鏡越しにわたしと目が合った。
「昨日の検査、どうでした?」
明るい言いかたは、わたしが「なんともなかったよ。もう、なんやったん。あの検査代、もったいなかった」と返すのを疑っていないように見えた。


「あんまり、よくなかった」
水風船が、ぱちんと割れてしまった。泣き出してしまったわたしに、彼女は顔色を変えた。
頭にできものがあること、手術を受けること、しばらく会社を休職しないといけないこと。つっかえながら彼女に話した。
彼女は、驚き、慌て、しまいにはわたしと一緒に泣き出してしまった。


その必要もないのに、ごめんなさいと謝っている。なぜ彼女がわたしに謝るのか。
「わたしがもっと仕事ができていれば、沖端さんも安心して仕事を任せることができるのに」
なにを言うのか。勤続年数こそわたしのほうがかなり長いが、わたしは部署異動をしてまだ間がなかった。
むしろ彼女にいろいろと仕事を教わっていたのだ。


始業時間が迫っていたが、わたしはすっかり泣いた顔になってしまっていた。とてもではないが席に着くことのできる状態ではない。
上司に話をしないといけないということになり、わたしは自分の席には着かずに、同じフロアにある打ち合わせ室に向かった。
彼女がその部屋に上司を呼んできてくれることになった。

直属の上司はすぐに打ち合わせ室に姿を見せた。
わたしはたいがい勤続年数が長いので、役職はだいぶ上の上司ではあるが、実は同期だ。
昨日の時点で話をしていたので、上司もわたしがMRI検査を受けたことは知っている。
テーブルを挟んだ正面の椅子に腰を下ろした上司に「あの……」と言いだしたとたんに、一旦は止まっていた涙がまたあふれた。


たぶん上司はおおよそのところを理解したのだろう。
なかなか嗚咽が止まらないわたしに「まあ、とりあえず落ち着こうか。慌てないでいいから」と言った。
わたしが泣き止むまで、なにも言わずに待ってくれた。


なんとか落ち着いたところで、病院で聞いた話を手短に話す。
同期の上司は、いたましいような、でも穏やかな顔をしていた。
そして、会社の仕事は気にしなくていい、とわたしに言った。今は治療に専念するように、と続ける上司に、わたしはただうなずいた。


この話はご家族には、と聞かれて、週末に実家へ行って話すつもりだと答える。
そうか、手術か、と上司がため息をつく。わたしを励まそうと思ったのか、明るい声を上げた。
「大丈夫大丈夫。手術っていっても沖端くんは寝てるだけだから。寝てるうちに終わるから」 
は、励まそうとして言ってるんですよね? 信じていいんですよね?

結局その日は上司に報告をしただけで、席に着くことなく帰宅することになった。
とても仕事ができる状態ではなかったことでもあり、比較的余裕のある時期だったことでもありで、急遽有給休暇扱いにしてもらった。

帰りの電車の中でもあふれ始めた涙はなかなか止まらなかった。
帰りの電車といっても時刻はまだ朝だ。朝の電車内ですすり泣いている女性。いったい端からはどう見えていたのだろう。
自宅に戻ったはいいが、予定にない急な休みで戻っても特にすることもないし、やりたいこともない。


テレビのリモコンを手に取る。録画したまま見ていないテレビドラマが大量に保存されているのを思い出した。
そのときの自分の心理状態を説明するのはなかなか難しい。
いろいろなドラマやロードショーを保存していたが、その中から米倉涼子さん主演の医療ドラマ『ドクターX』を選んで見始めた。数話分保存していたのを一気見していた。
「あんた、手術しないと死んじゃうよ」「わたし、失敗しないので」
大門未知子の強いセリフを、わたしはその日、繰り返し聞いていた。

家族へ報告。母には言えなかった

週末、ちょっとした手土産を持って実家へと向かった。
借りている部屋から実家までは車だと15分ほどか。とはいってもわたしが使っている足はもっぱら自転車なので30分以上かかる。
自転車をこぎながら、姉夫婦と親に話す内容を考える。
途中で何度か自転車を止めて顔を拭った。


病院で宣告を受けてからすでに数日経っているのに、病気のことを考えるとまだこんなに動揺する。
いまからこんな風だったら、実際に親と姉夫婦に話をするときはどうなってしまうのか。
と、そのときの予想は見事に当たった。


まずは姉夫婦にと話し始めたのだが、いくらも話さないうちに嗚咽で話せなくなってしまった。
笑顔だった姉夫婦の顔がこわばる。姉も義兄も、わたしが落ち着くまで待ってくれた。
病気のことを話すわたしを、受け止め、なぐさめ、励ましてくれる。


一人暮らしをしているわたしは、入院前後も入院中も、姉と義兄に世話をかけることになってしまう。
高齢の親と同居している姉と義兄に、さらに負担をかけてしまうのが申し訳ない。
「家族なんだから」と姉が言い「そんなのは当然のことだ」と義兄が言う。
わたしはまた泣いた。

姉夫婦は、病院での説明への同席を快く引き受けてくれた。
そこで詳しい話を聞くまでは、親にはまだ伝えるのは止めておこうということになった。
母は『病は気から』を体現しているような心配性だ。「あのね、脳腫瘍になりました」とか言った日には、それだけで倒れてしまいかねない。
その日、母には「今度検査を受けることになった」とだけ話した。

入院準備をしよう

今からできることを少しずつやっておこうと、入院したら必要になりそうな物を買いに行くことにする。
とりあえずユニクロでパジャマと下着だ。
とはいえ、この年になるまで入院した経験はなく、どんなものが必要かよくわからない。
なにを揃えておけばいいのかと困ったが、本棚にあった闘病エッセイマンガがとても参考になった。 
その本を参考にして、こまごましたものを買い揃えていった。
百円ショップにも薬局にも何度も足を運んだ。


エッセイマンガによると、入院時は時間をもてあますという。
長い会社員生活で時間に追われるのは毎度のことだが、もてあますというのは久しくなかったことだ。
だけれど幸いにしてというべきか、わたしの趣味は読書だ。気になる本には片っ端から手を出すのに、遅読で読むのが追いつかないから、部屋の本棚には消化していない本が大量にある。
入院中に読む本、退院して実家で療養するようになったら読む本、と、1日1冊計算で本棚から選んでいく。
入院中も退院してからも体調があまりよくはないだろうから、込み入った本は読みたくないだろうと思い、楽しく読める本をセレクトした。ちなみに大半はミステリーかファンタジーだ。

入院するときにあれこれ持ちこんだが、便利だったものをいくつか紹介しよう。
大半のものは百円ショップで購入できた。


・クリアホルダー(けっこう受け取る書類が多い)
・筆記用具(サインする書類が多い。タオルなどに名前を書くのにマジックが入り用になった)
・小さな置き時計(わたしが入った大部屋には時計がなかった)
・鏡(洗面スペースにはあった。ベッドでスキンケアしたい人は必要)
・ボックスティッシュ(入院期間にもよるだろうが、1箱あれば十分)
・ゴミ箱(病室に備えつけがなければ必要。わたしが入院した病院にはあった)
・シャンプーの代用になるウエットティッシュ(術後しばらくは髪を洗うことはできないだろうと思い、準備した。大正解)
・耳栓(音が気になる人は必要かも。同室者のいびき率高し)
・ふた付きマグカップ(サーモスを持っていったけど大活躍した)
・ペットボトルにつけるストロー付きキャップ(うーん、あれば便利かも)
・大きめクッション(起きているときに腰にあてたい)
・膝掛け(日中、起きているときは布団をかけたくないので使っていた)
・ふりかけ(神! 決して病院食が美味しくないわけではない)
・お菓子(胃腸系の病気でなければ食べられる、が、看護師さんの視線が少々気になる)

次は入院前後のどたばたについて触れようと思う。

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