
それはとある休日の昼下がり

平和な昼下がりだったのに!!
住んでいる集合住宅で初めて火災報知器が鳴ったときの話だ。
のどかな休日の昼下がりだった。
わたしはたいていの休日には予定を入れないようにしているが、予定のない休日はたいていそうしているように、その日も自分の部屋でまったりと過ごしていた。
着ているのはユニ○ロの部屋着で(お気に入りのてろんとしたやつだ)顔はすっぴん。
部屋から一歩も出るつもりのない日の定番スタイルだ。
好きな作家のミステリを読みふけっていた。うーむ、やっぱりこの人のユーモアミステリは絶品だ。
静かなひとときをぶち壊してそれは鳴り響いた。
けたたましく鳴り始めたのは火災報知器だ。
え、え、え、火災報知器?
集合住宅に住み始めて2年以上という頃だったが、火災報知器が鳴ったのはそのときが初めてだった。
部屋を見回すが、自分の部屋に火の気はない。あたりまえだ、火を使っていない。
集合住宅の恐いところで、自分の部屋に原因がなくても火事にはなる。
一向にベルが鳴りやむ気配はなく、慌ててベランダに出る。が、ベランダから見える範囲にもなんの異常もない。
ベランダにも報知器が設置されているので、いっそうベルの音が高くなった。
部屋に戻り、おろおろと行ったり来たりしたが、こうしていてもどうしようもない。とりあえず部屋から出ることにした。
自分の身に着けているものが気の抜けた部屋着であることがちょっと気になったが、そんなことをいっている場合じゃないかもしれない。
部屋の鍵と携帯のみを掴んで部屋から出る。
とりあえず部屋の外に出よう
廊下に出るとベルの音はさらに大きくなった。
この集合住宅は廊下を挟んで両側にドアが並んでいる。ひとつのフロアに10部屋ほどがあるのだが、廊下に人はいなかった。
各部屋のドアの下をざっと眺めるが、ドアの下から煙が出ている部屋はない。
廊下をうろうろしてみたが、同じ階の住人は誰も出てこない。
えぇ、休日の午後だからって、今日この階にいるのはわたしだけ?
この階、全員留守? 全員アクティブ派?
なにもできずにまた部屋に戻る。ベルは鳴りっぱなしだ。
管理会社に電話してみようと思いついた。集合住宅の名前を言って火災報知器が鳴りっぱなしであることを伝えるのだ。火事だという確信がない以上、消防署に電話するのはためらわれた。
管理会社に電話しようとして、自分の住んでいる集合住宅の名前はなんだったっけと思う。うお、集合住宅の名前が思い出せない。えーと、けっこう長い名前の横文字なんだけど。
自分が思ったよりも焦っていることに改めて気づいた。
携帯と鍵を掴んで再び廊下に出る。ひとりでいると焦りがいっそうひどくなりそうだ。
けたたましくベルが鳴り続ける廊下にやっぱり人はいない。
ようやく集合住宅の名前を思い出して管理会社に電話をかけようとしたときだった。
隣の部屋のドアが開いて人が出てきた。
何度かエレベーターで顔を合わせたことがある若い女性だ。
あちらも廊下に人がいることにほっとしたのか、安堵の表情になる。
こんにちは、と挨拶を交わす。こんなときなのに挨拶からはいるあたり、あちらも会社員だと思われる。
女性はバッグを抱えていたが、着ているものは見るからに部屋着だった(わたしのよりおしゃれだが)顔はすっぴん。
この湧き上がる親近感はなんだろう。
ようやく住人と出会う
非常事態ならでは、わたしと若い隣人は一気に身を寄せ合った。
「警報器、鳴りやまないですね」
「でも煙はどこからも出ていないですよ」
「火災報知器が鳴ったの初めてだからすごくびっくりして」
管理会社に電話をかけてみるも、休日のせいか繋がらない。
「休日でも繋がるような緊急の電話番号は知ってますか?」
「え?」
「休日でも、繋がる、ような」
なにしろけたたましくベルが鳴り続けているので、通常の音量では会話ができない。
隣人も管理会社の番号は知らないといった。
こんなときは年長者であるわたしが、こう、ひとつものすごく役に立たなければいけないと思うのだが、あいにくわたしは無力だった。
おろおろと煙がどこからかでていないかと見回し、繋がらないとわかっている電話を再びかける。
次の行動を考えあぐねていたとき、非常ドアを開けてひとりの男性がフロアに入ってきた。エレベーターを使わなかったのは万が一のことを考えたからか。
男性は、こちらもいかにも休日の部屋着という格好をしていた。
手にはスマホを持っている。
ぐるりとひととおりフロアを見回し、わたしたちと目を合わせた。
「えーと、管理会社関係のかたですか?」
違うだろうな、と思いつつわたしは尋ねた。そんな格好には見えないし、管理会社が異変を知って駆けつけるには早すぎる。
案の定、男性は別の階の住人だった。
話を聞くと、集合住宅の1階に警報装置を管理するらしい警報盤だか警備盤だかがあり、わたしの部屋のある階を示すランプが赤く点灯していたので見にきたという。
別の男性が、そこに書かれていた緊急連絡先に電話していると聞いて少し安堵する。
わたしと隣人の女性も1階に降りてみることにして、3人で移動する。
迷わずエレベーターに乗ったあたり、あまり考えていない。
こんなときなのに(こんなときだからか)エレベーターではすっかり世間話だ。
「このマンション、ちょこちょここんなトラブルが起きますよね」
「ですよねー。去年も水道設備のトラブルとかいって3日くらいほとんど水出なかったし、真夏だったからすごい困った」
「マンションの玄関の自動ドアが壊れたこともあったし。半月くらい手動ドアになってた、オートロックのはずなのに」
そうそう、手でこじ開けてたんだ。しまいには半開きのまま、誰も閉めようとしなかった。つーか、頼むよ、管理会社。
幸い警報は誤作動だだった

緊急時には一致団結だね
1階の警報盤(だか警備盤だか)の前に数人の男女が集まった。数えたらわたしを含めて5人いる。
この集合住宅にはそれなりの部屋数があると思うのだが、建物内にいる人間が現在5人ということはないだろう。
他の人たちはいったいどうしているんだろう。
ひとりの男性が携帯電話で警備会社とおぼしきところとやりとりをしていた。
なぜ警報装置が鳴りだしたかわからないらしい。
どうやら火事ではないようだということで、ほっと安心した。
警報装置が誤作動しているだけなら止めればいいのだ。
携帯電話を片手に持った男性の会話を聞きながら、5人が頭を寄せ合って、このスイッチがどうの、赤ランプを消すにはこうのと手を出してみる。
ひとりの女性が部屋からドライバーを持ってくる。
ああだこうだとやっているうちにいくつめかに押したスイッチが正解していたらしく、それまでずっと鳴り続けていた火災報知器が鳴りやんだ。
ようやく集合住宅に静けさが戻ってきた。
5人の顔に浮かんだ笑顔はとても満足げだった。
「あー、よかった」
「今から警備会社の人が確認に来るって」
「なら一安心だ」
小説やドラマなら5人の中にうら若い男女がいたりして、大変でしたね、お茶でもどうですか、とかなるところなんだろうが、現実では全員がやれやれとそれぞれの部屋に引き上げた。
わたしと隣人の女性もお互いの部屋に引き上げる。
「お疲れさまでした」
まるで仕事の終わりのような挨拶をして部屋に入った。
ふと鏡を見ると、てろんとした部屋着を着てすっぴんの、髪をてきとうにひとつ結びにした(しかもそれがぼさっている)自分がいた。
今日の出来事から学んだこと。
緊急時に人は親しくなる。
休日だからといってあまりにも気の抜けた格好をしていると非常時に逃げそびれるかもしれない。そして出会いがあってもおそらく発展しない。