休日の夜、集合住宅の廊下に煙が充満する

魚

それはとある休日の夜のこと

とある休日の夜、住んでいる集合住宅で火災報知器が鳴った。
驚きが半分、またかという気持ちが半分。
以前に鳴ったときもたしか休日だった。
管理会社になかなか連絡が取れなくて困ったものだ。

たしかあのときは火災報知器が鳴った原因は不明に終わったはずだ。
しかし集合住宅の恐さで、自分の部屋ではなくてもどこかで火災が起きているかもしれない。
ベランダを開けてみると火災報知器の音がいっそう大きくなった。

が、ベランダを開けただけでは火事かどうかわからない。
通勤用に使っているバッグにとりあえず貴重品を入れて部屋を出る。
ちょっと考えたが部屋の電気はそのままにして、鍵もかけた。

住んでいる部屋の階には異常はないように見えた。
この集合住宅には1階に警報盤(という呼び方でいいのだろうか)が設置されているのを知っていたので(前回学習した)それを見に行くことにした。

同じ階の住人が部屋から出てくる気配はまだない。
用心のためにエレベーターは使わずに非常階段で下りることにする。
1階の警報盤には、特定のフロアのランプが赤く点っていた。どうやらこの階で警報器が鳴っているらしい。

わたしは再び非常階段を使って警報器が鳴っているフロアまで上がる。
この集合住宅の作りは、内廊下の両側に扉が並ぶ形だ。
ひとつのフロアに部屋が10部屋ていどはあるので、廊下もそれなりの長さがある。

廊下に煙が充満している

廊下が煙で真っ白!

非常口から該当のフロアに入った。
フロアには見てわかるほどの煙が充満していた。
廊下の奥の壁は充満する煙で見えなくなっている。

一瞬心臓が縮んだ。
が、すぐに、あれ、と思う。
煙がとてつもなく魚臭い。

これはあれか、コンロで魚を焦がしたというかいう、お約束なやつなのか。
しかしいったい何匹魚を焦がしたら火災報知器が反応するくらい廊下に煙が充満するのだろうか。
しかしその階も、一向に住人が出てくる気配がない。

おいおい、いいのかキミら。何人この階に人が住んでいて、現在何人在室しているのかは知らないけど、キミが住んでいる階、廊下に煙が充満してるよ。
廊下の端で、さてこれからどうしたものかと思案していたら、ぼちぼち人が同じ階に集まりだした。わたしと同じ課程を踏んでこの階に様子を見に来たらしい。

非常口から顔を出した人たちに、なんとなく会釈をする。
どんなときでも挨拶を忘れない日本人だ。

「この階ですか?」と顔を出したひとりが言った。
「警報器が鳴ったのはこの階ですね。廊下に煙が充満してますし」
「うわ、ほんとだ。火事、あれ、でも」
「魚臭いですよね、この煙」
「……ですよね」

その場に集まった3、4人ほどで顔を見合わせる。
魚か、魚だよね。焦げてるよね、と皆の顔に書いてある。
どの部屋も扉の下から煙が出ている気配はないし、おそらく火事ではあるまい。

しかし廊下がこの調子なら、部屋の中にもかなり煙がありそうではあるが。どの部屋が煙の原因かわからないし、どこの部屋からも住人は出てこない。
手近の部屋のインターフォンを押してみたが、住人は出ない。留守なのか居留守なのかはわからない。
その間もけたたましく警報器は鳴り続けている。

とりあえず火事ではなさそうだと結論づけて、わたしを含めたその場に集まった皆は、全員で1階の警報盤まで戻ることにした。
警報盤には赤いランプが点灯したままだ。
管理会社や不動産会社に連絡を取るも、休日の夜とあってなかなか繋がらない。

「これ、消防車を呼ぶところですか?」
「あきらかに煙は魚臭いですよ」
どの顔にも、消防車を呼んだら迷惑かけるんじゃ、と書かれている。
皆なんて善良なんだろう。

住人のほとんどが、おそらく我関せずとばかりに部屋に籠もっているだろうに、警報盤の前でああでもないこうでもないと話し合うようなキャラクターの持ち主なのだ。善良でないはずがない。もちろんわたしもそのひとりだ。(自画自賛)

集まったうちのひとりは、管理会社と連絡を取ろうと頑張っていた。
そうするうちに、さすがに人が非常階段を使って下り始めてきた。

普段は顔を合わせても会釈をするくらいだが(あるいはスルー)さすがに不測の事態には力を合わせるのかと思いきや、下りてきた青年は、集まっているわたしたちを一瞥しただけで非常階段のそばにある裏口から出てそのままどこかに行ってしまう。
警報器がうるさいからどっか避難しておこうって感じか。気持ちはわからないでもないが、自分の欲望に忠実な若人だな。

そう思うと、こわごわと階段を下りてくる若いカップルがいる。
「火事ですか?」と彼女が問いかける。
わたしはわかるだけの経過をカップルに話す。

廊下に煙が充満している階がある、と話すと彼女が怯えた顔になる。でもその煙はとても魚臭い、と教えると、途端に安心した顔になった。
なんだそうだったんですか、じゃあ帰ろうか、と彼氏を促して、下りてきたばかりの階段をさっさと上がっていった。
ええ、いいの?
こんな素人がちょっと言ったくらいの意見を鵜呑みにしていいの?

消防車が来た!

来ちゃったよ

その後、階段を下りてくる人はちらほらいたがその全員が裏口から外に出て行くか、素人の意見に安心して部屋に戻るかのどちらかだ。
中にひとりだけ、警報盤の周りに居残った人がいて、その場に残った人はわたしを含めて4人になった。男性が2人に女性が2人。
おそらく年齢も似たり寄ったり。
それぞれが携帯でどこかと連絡を取ろうとしたり、警報盤を操作しようとしたりしている。
わたしはあなたたちとは友達になれる気がするよ!

その場にいた女性と不安を分かち合うという名のおしゃべりをしていると、遠くから消防車とおぼしきサイレン音が聞こえ始めた。
サイレンの音はだんだんと近づいてくる。

警報盤の前にいる4人は顔を見合わせた。
「ここに来てるんですかね?」
「警報器、まだ鳴ってますもんね」
「えー、ようやく管理会社と連絡ついたのに。もう少ししたらこっちに来ますよ、きっと」
「誰かが通報したんでしょうね」
「ご近所さんかな」
「かもしれないですね。出てるのは魚臭い煙なんて知らないでしょうしね」

話し合っている間に、消防車はやはり集合住宅の目の前で停止した。
ああ、ご足労かけて申し訳ない。

銀色の防火服に身を包んだ男性隊員が2人やってきた。車にはまだ人が残っている風だ。
どちらもまだ若い隊員だった。2人とも20代だろう。
引き締まった若い顔に、思わず敬礼したくなる。

防火服を着た2人は警報盤の前にいるわたしたちを見て、お、という表情になった。
なにがありましたか、という彼らに、一抹の申し訳なさを感じながら、あるフロアの廊下に煙が充満している、と説明する。
とたんに彼らの顔に緊張が走り、わたしは慌ててつけ加える。
でもその煙は明らかに魚臭い、と。

ホントにご苦労さまです

彼らの顔から気が抜けたように見えた。正確にいうなら、気が抜けたのを表に出すまいとしているように見えた。
そういうことだったら自分たちはこれで、と帰るわけにもいかないのだろう。
彼らは該当のフロアに様子を見に行くために非常階段を上っていく。

火事対応のプロが登場したことで、その場の素人たちは安心して一気に力が抜けた。
そのまま流れ解散することにした。

ただひとり、管理会社に連絡を取っていた彼は、管理会社の人が来るまで待つと言ってその場に残った。
いい人だなあ。きっと職場でも後輩に慕われているに違いない。

階段を上って部屋に戻る途中、気になったので煙が充満していたフロアに立ち寄った。
フロアでは隊員があたりの様子をうかがっているようだった。

煙はもうかなり薄くなっていた。臭いも薄れている。
顔を出した素人に、隊員たちは嫌な顔はしなかった。
どうですか、と呼びかけると、各部屋を呼び出しているけれど出てくる人がいない、とちょっと困ったような返事があった。

このフロアの部屋は全部埋まっているのかと聞かれ、そんなことはまったく知らないのだが、ドアノブに袋が下がっている部屋以外は人が住んでいると思うと答える。(空いている部屋のドアノブには電力会社だったかの案内が入った袋が下げられている)

住人がいるかの確認をするという隊員さん2人に挨拶をして、わたしは部屋に戻ることにした。
けっこう長い時間部屋の外にいたので体が冷えていた。

警報盤の前で世間話をしていた女性は同じフロアに住んでいて、フロアに着いたところで別れた。
ゆっくり話をしたら面白そうな人だった。今度飲み会でもしたいものだ。
それにしても疲れた。
明日は仕事だ。勘弁してください。

でも隊員さんには頭が下がります。
そして魚を焼くときには気をつけろ。

火の元注意だよ

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