
ようやく重い腰を上げた

必要にせまられました
わたしは車の免許を取るのが遅くて、教習所に通ったのは30代に入ってからだった。
それまで使っていたのは原付で、とりあえず困ることはなかったので、ずるずるそのままきてしまっていた。
困らない限りは現状を変えようとしない腰が重いタイプなのは自覚している。
ガラケーからスマホに変えたのも相当後になってからで、まだガラケー使ってるの、という目でよく見られた。おっと話がずれた。
雨の日にはバスを使っていたのだが、そのバスが廃線になることになってしまった。
それにより、もよりのバス停がかなり遠くなってしまい、ここにきて車の必要にかられてしまった。
根が真面目なわたしはどうせ免許を取るなら厳しいと評判の教習所に行こうと学校を選んだ。
教習所は、まあ当然だがほとんど年下の子ばかりだった。
20才前後の子が大半だったが、教習所でもすぐ仲良くなるのか、きゃわきゃわと大変楽しそうに輪になっておしゃべりをしている。
わたしは少し外れたところで、教習所から渡された教科書を読んでいた。
学科は得意だった。先生はツンデレだった
教習は学科と実技に別れていた。
わたしは学科のほうが得意だった。運動音痴というか、講義のほうが取っつきやすかったというか。
周囲の子たちは実技に重きを置いているタイプが多いように見えた。
講義が行われる教室に入ってくるや、すぐに机にうつ伏せてしまう。講義をまったく聞いている様子はない。
教習所の先生は講義でも実技でも厳しい人が多かったので、「聞く気がないなら出なさい」と言われて教室を追い出されていた人もいた。
自慢だがわたしは毎回講義をマジメに聴いていた。だって講義のほうが取っつきやすい。
あまり自慢する機会がないからこのときとばかりにするが、わたしは仮免のペーパーテストは満点だった。えっへん。
運転技術にはまったく関係ないが。
教習所を卒業することになったときに講義の担当だった講師に挨拶に行った。いつもむっつりした顔をしていた厳しい男性講師だったが、わたしが挨拶をすると、
「あなたみたいに真面目に講義を受ける人は珍しかった。いなくなると思うと少し寂しい」
と言ってくれた。
視線はわたしのほうではなく、あさってのほうを向いたままだ。
よもやツンデレの講師だったのかと、厳つい顔をした講師がかわいく見えたのはここだけの話だ。
実技の先生はめちゃ厳しかったよ

めちゃくちゃ厳しい
そして実技の担当の先生はめちゃくちゃ厳しかった。50代後半ほどと見える細身の先生だったが、怒られていた記憶がほとんどだ。
助手席に乗られるといつもどきどきした。わたしが危うい運転をすると、すかさず助手席でブレーキを踏む。
教習所の車は助手席にもブレーキがあると、教習所に通うようになって初めて知った。
とにかく怒る怒る。口調も厳しいので、その日の実技が終わった後は凹んでいるのが常だった。
他の実技担当の先生がえらく優しく見えて、わたしも他の先生がよかったなあ、と思ったことは数知れない。
運転技術の段階ごとに合格点があったのだが、なかなか合格点(というか、ハンコ)がもらえないので、補習も何度も受けた。
本当に免許を取れる日が来るのだろうか、と途方に暮れたこともある。
会社に行きながら教習所に通っていたから、疲れが溜まっていってきつかった。
あれはどの段階のときだっただろう。
それまでかなり手こずっていたのが、そのときようやく合格点が取れた。
わたしも嬉しかったが、厳しい先生が、大きな笑みをうかべて、よくやった、と言った。
やればできるじゃないか、とぐりぐりとわたしの頭を撫でた。
先生、わたし30オーバーなんですけど、頭ぐりぐりはちょっと恥ずかしいです、と思いつつ、褒められたのは嬉しかった。
無事に実技のすべての段階を終えたときは、この厳しい先生で良かったと思っていたのだから、我ながら単純だ。
こうしてわたしは本免の試験にも合格し、無事に免許を取得することができた。
初めて手にした免許証は輝いて見えたよ、まったくのところ。
ああそうそう、わたしが教習所に通っていた頃、免許を取るには年齢×万円の金額がかかるという噂があったけど、噂を身をもって証明したよ。