
蛙に造形美を感じることはない

田舎に住んでいるんです
わたしが生まれ育ったのはけっこうな田舎だ。家の中にでかいクモが出るし、家の周りが田んぼに囲まれているので、夏には蛙が大合唱する。
というわけで、今回は蛙の話だ。
子どもの頃から見慣れているとはいえ、わたしは蛙は好きではない。申し訳ないが、蛙に造形美を感じることはないのだ。
まあ蛙が苦手だという女子は少なくないだろう。
苦手なものだから蛙に近寄ることはないし、蛙と戯れたいと思ったこともない。
嫌いな蛙を美しく生まれ変わらせようと、蛙にとってはハタ迷惑な関わり合いをしたのはわたしの知る限りではカナだけだ。
え、カナとは誰かって? カナは黙って立っていれば美人なのに、そうせずになぜか夜中にサダコになってクモ歩きをする友人のことだ。
詳しくは『サダコがきっと来る』や『カナは見た目詐欺』をお読みいただければと思う。宣伝でした。
オタマジャクシは面白い
自分の話に戻るが、蛙は苦手だが、オタマジャクシはけっこう好きだった。
子どもの頃はオタマジャクシに造形美(というか、単に面白さ)を感じていたのだ。
田んぼの水の中でふりふりとしっぽを振りながら泳ぐオタマジャクシを飽きずに眺めていたことを思い出す。
眺めているだけでは足りなくなって、田んぼの中に手を入れて、オタマジャクシをすくって遊んでいた。
手の中の小さな水たまりでふりふりと泳ぐオタマジャクシがなんとも可愛かった。
あまり長く手の中に入れていてもよくなかろうと、オタマジャクシをすくって、ちょっと眺めては水の中に戻し、また別のオタマジャクシを田んぼからすくっては眺めて戻しをしていた。
そしてわたしはその日も家のそばの田んぼでオタマジャクシをすくって遊んでいた。
我ながらなにがそこまで楽しかったのかは今ではよくわからないが、いつものように手の中にオタマジャクシを入れていたのだ。
何匹目のオタマジャクシを手の中にすくい入れたときだったろうか。
手の中の感触がいつもと違うことに、わたしは気がついた。
田んぼの水はあたりまえだが泥まじりなので、すくう前は気づかなかった。
わたしは手の中の、小さな水たまりの中にいるオタマジャクシをじっと見つめた。
そして気がついた。
オタマジャクシに足が生えていた

足が! 足が生えて!
オタマジャクシに足が生えている。
わたしが手の中にすくい入れたのは蛙に変化している途中のオタマジャクシだったのだ。
頭は丸い。オタマジャクシだ。しっぽはある。やっぱりオタマジャクシだ。色だってオタマジャクシの色だ。
だがしかし、足がある。たぶん4本ともあったと思う。
わたしは悲鳴を上げてオタマジャクシ(変化途中)を田んぼの中に戻した。というか、落とした。
いつもとは違った手の中の感触に、ぞわぞわと背中が波立った。
わたしが落としたオタマジャクシはそのまま田んぼの水たまりの中をどこかへ泳いでいった、と思う。よく覚えていない。
わたしがオタマジャクシをすくい上げる遊びをしたのはあの日が最後だ。