
ひとりで東京へ行った

それは冒険だった
わたしには若い頃に上京して東京に住んでいる友人がいる。
ずいぶん以前になるが、東京に住んでいる友人にひとりで会いに行ったことがあった。
地元でも迷うほどの方向音痴プラス地理音痴のわたしが、とんでもない冒険をしたものだと今でも思う。
それまでは地元に残っている友人たちと一緒に東京へ行っていたのだが、たしかそのときは他の友人たちとの都合が合わず、結局先乗りした友人の後を追うようにひとりで行くことになってしまったのだ。
不安はあった。自分の方向音痴と地理音痴のことがわかっているだけに、ものすごく不安だった。
東京においでと誘った友人が、モノレールの駅まで迎えに来るからというので何度も念を押して確認した。
さてどきどきの東京行きの当日。
自宅から福岡空港へ行き、空港から予約していた東京行きの飛行機に乗る。ここまでは順調だ。
余談だが、自宅から福岡空港まで公共交通機関で移動する所要時間と、福岡空港から羽田空港まで飛行機で移動する所要時間は同じくらいだ。釈然としないのはなぜだろう。
羽田空港からはモノレールだ。ここまで来るとあとは手探り、というか、足探りになる。
わたしは恐る恐る空港から足を踏み出した。
なんとかモノレールに乗り換え、そして無事にモノレールの駅に着いた。
友人の姿は、……ない。
駅の中をうろうろし、きょろきょろするも、迎えに来ると言った友人の姿はどこにも見当たらない。
頭のどこかで嫌な予感はしていたが、当たってほしくない予感ほど当たるものだ。
迎えに来るはずの友人がいない
そうだ、友人はそういうやつだ。約束時間や予定時間などに、友人はいっそ気持ちいいくらい縛られない。
友人がまだ地元に住んでいた頃の話だ。他の友人たちも一緒に待ち合わせをして出かけることがあったが、くだんの友人は午前10時に待ち合わせをすると、10時に家を出るやつだった。(もしやこれが博多時間と呼ばれるものか)
仲間内では友人の遅刻はすでに織り込み済みだった。
またか、しょうがないな、ですまされるあたり、友人のキャラクターというものか。
炎天下の野ざらしのJR.駅で2時間待ちぼうけを食らったこともある。当時は携帯電話などもなかったので、連絡を取ることもできずに大変だった。
2時間遅れで到着した友人に、当然ながらわたしは怒ったのだが、遅刻の原因は友人の寝坊と朝風呂だったそうだ。正直に理由を話すのはいいとして、なぜ寝坊したのに朝風呂をするのだろうか、こいつは。
それでもつきあいを断たないのだから、自分でいうのもナンだが、わたしもたいがい心が広い。
おっと話がずれた。という友人なので、モノレールの駅まで迎えに来ると聞いたときは、少なからず不安だった。だから行く前に何度も念押しをしたのに。
友人が当時住んでいた住所は知っていた。しかたがないので、友人の家の最寄り駅まで自力で移動することにした。
東京の、気が遠くなるほど複雑な路線図を睨みながら、ときには駅員さんにあれこれ訊ねながら移動していく。
元から方向音痴なので、駅員さんに訊ねることはまったく恥ずかしくない。
ええ、方向音痴なんてこんなものです。
切符を買ったのに、改札でバーにせき止められたりもした。え、なんで、と焦ったが、後ろにいた人から、通る改札が違うと教えてもらった。おのぼりさん丸出しだ。
東京の路線は複雑きわまりないのでよくわからんですばい。
乗り換えのたびに友人の家に(携帯電話はないので)公衆電話から電話をかけるも繋がらない。
不安は少しずつ大きくなっていく。頼むから繋がってくれよお。
そうこうしているうちになんとか友人の住む家の最寄り駅まで到着した。ここから先は公共交通機関での移動はできない。
小さい駅のベンチに腰かけて、わたしは、さてこれからどうしたらいいんだと悩んだ。
友人の家には最寄り駅に着いてからも何度も電話をかけていたが、まったく繋がらなかった。
友人の住む家がどこにあるのかをわたしは知らない。
少しずつ日は傾いていく。
途方に暮れるってこんな感じ?
駅で立ち尽くす

どうすればいいの
友人宅の最寄り駅で立ち尽くして(というか、ベンチに座り尽くして)どのくらい経ったときだったか、おそらく2時間後くらいだと思うが、何度目かに友人の家に電話をかけたとき、ようやく電話が繋がった。
わたしは電話の向こうの相手を、先乗りしていた友人だと勘違いした。(実は別人だった)
「よかった、やっと繋がったよ。ねえ、友人が迎えに来るっていって全然来ないんだけど! 最寄り駅までは来たけどさ、電話は全然繋がらないし、友人はいったいどこにいるの!」
焦りと不安で、わたしは電話の向こうの女性にまくし立てた。
標準語で書いているが、まくし立てたのは九州弁だ。
相手もさぞかし驚いたことだろう、申し訳ないことだ。
わたしの焦りが伝わったのか、女性は丁寧にわたしに説明してくれた。
詳しくは割愛するが、友人は劇団を主宰していた。そもそもは友人の劇団の公演が近いので、わたしはその手伝いをするために駆けつけていたのだ。先乗りしている友人も手伝いのために来ていた。
素人が手弁当で手伝いに駆けつけるあたり、劇団の規模は察してください。
その人の説明によると、友人は今日は公演の練習のために借りている場所にいて、自分は食事の準備をするために一時的に友人の部屋に来ているということだった。
そうか、間近に迫った公演の練習で頭がいっぱいになって、わたしとの約束は飛んでしまったか、とわたしは納得せざるを得なかった。
芝居に関係することがどのくらい友人の頭を占めているのかを、幸か不幸かわたしは知っていた。
ようやく友人と会う

涙目で切れました
わたしが自分の上京の状況(おお、韻を踏んだ)を説明すると、電話の向こうの女性はえらく同情してくれ、わたしを駅まで車で迎えに来てくれた。なんてありがたいことだろう。
その人の運転する車で、わたしは友人が練習場に借りている部屋があるという建物に連れて行ってもらった。
友人の部屋に戻るからということで、その人とは建物の前で別れた。
わたしはひとりで建物内に入っていった。
友人たちが練習している部屋はすぐにわかった。
ようやくだ。ようやくたどり着いたよ。福岡の家を出てからここまで遠かったよ。
それまでの不安と焦燥が走馬燈のように頭を巡っていく。
わたしは静かに扉をノックをして部屋に入った。
はたして友人は部屋の中にいた。
おそらくは公演のキャストなのだろう、車座になった人たちの前で、なにやら話をしている。
友人は部屋に入ってきたわたしを見て、驚いた顔をした。
「あれ、アサヒ。よくここがわかったねえ」
友人の屈託のない笑顔に、頭の中でなにかがぷつりと音を立てた。
友人につかつかと詰め寄ったまでは覚えているが、その後のことをよく覚えていない。
九州弁でひとしきりまくし立てたのだろうと思う。涙目になって怒るわたしに、友人はひたすら謝っていた。
突然現れて九州弁で怒っているわたしを、車座になった一同はいったいどんな目で見ていたのだろう。そのときはそんなことを考える余裕もなかったけれど。
幸いなことに、このことで友人と気まずくなるということもなく、というか、このくらいでぶち切れていたらこの友人とはつきあっていけないわけで、わたしは無事に公演の手伝いを終えた。
公演を終えてからは友人の案内で遊びに行ったりもした。
東京にいる間は友人の部屋に泊まっていたし、友人は別の同郷の友人と部屋をシェアしていたし、先乗りした友人もいたしで、かなり賑やかな日々を過ごした。
しかし東京をさまよったときに味わった恐怖と焦燥はわたしの中に根強く残っている。
わたしが今でも地元から出たがらないのも、そのあたりに一因があるのかもしれない。