3姉妹の部屋割り

鶏の親子

実家の部屋の話

実家は築数十年というなかなかに年期の入ったしろものだ。
建てられたのはわたしが中学3年生のときだ。ええ、受験生でしたねえ。親はまったく気にしていませんでしたが。

本命高校の受験日の前日とか、えらい目に遭いました。(詳しくは『それはわたし編』の『あれは受験日の前日のことだった』をお読みいただければと思う。宣伝でした)

さて、新しく家ができたことで、わたしたち3姉妹は浮かれていた。ちなみにわたしは3姉妹の末っ子だ。
それまでの家が古くて狭かったから、なお嬉しい。

2階に姉妹の部屋は作られていたが、それは2部屋の続き部屋だった。
手前の6畳の洋室を通らないと、奥の8畳の和室に入ることができない。

親はひとつの部屋を勉強用、あるいはテレビを置いてくつろぎ用に、もうひとつの部屋を寝室にと、2部屋を3人共同で使うように考えていたらしい。

わたしは、6畳と8畳と、3人で使うならどっちを寝室にしたほうがいいだろうかとか、それまでは使うことができなかった憧れの(!)ベッドをこの機会に置きたいけれど、3台もベッドを置くとなると6畳では難しいだろうか、などと考えていた。

下の姉の宣言

なにも言えない上の姉とわたし

が、下の姉が宣言した。
6畳の洋室はわたしが使う。8畳の和室を2人で使えばいい、と。

そんな勝手な、とわたしは思った。だがしかし、わたしも上の姉もなにも言えなかった。
なぜなら、下の姉はけっこうなやんちゃだったからだ。

なんせ『沖端家のひとり積み木くずし』と呼ばれていたくらいだ。わたしが呼んでいただけだが。(愛、愛があればこそですよ、オネーサマ!)

わたしと上の姉は震えながら抱き合い、下の姉の宣言に涙をのんでうなずくしかなかった。
(すみません、ちょっと盛りました)
まあ実際のところは上の姉もわたしも、しょうがないなあまったく、と下の姉の言葉を受け入れた。

こうしてわたしと上の姉で和室を使うことになり、わたしは当時高校生だったが、すでに仕事をしていた上の姉が、自分の分と一緒にわたしの分も(憧れの!)ベッドを買ってくれた。
ありがとう、オネーサマ!

下の姉の部屋を通らないと自分の部屋に入れないという作りは、少々面倒ではあった。
トイレに行くにも一度は下の姉の部屋を通らないといけない。黙って入ると下の姉が怒るので、出入りの際には声かけやノックが必須だ。

だがしかし、下の姉はなにも言わずにわたしの部屋の扉を開ける。それに対してわたしが文句を言うことはない。上下関係って知ってる?
この作りのせいで思わぬハプニングに出会ったりもした。
(詳しくは『本日のことわざ』の『不幸中の幸い』をお読みください。宣伝その2でした)

居残っているうちに

ひろびろと使いました

上の姉はほどなくして結婚したので、2人で部屋を使ったのは1年くらいだったと思う。
それからはひとりで和室を使った。
ひとりで使うようになった部屋が、えらく広く感じたのを覚えている。

その後数年経って下の姉が結婚して家を出ることになり、下の姉が使っていた部屋が空いた。
わたしは6畳の洋室を寝室、8畳の和室をくつろぎ用として、続き部屋をひとりで使っていた。
うーむ、実家に居残っているうちにわらしべ長者状態になってしまった。

それからかなりの年数が経ってから、わたしもようやくというか、とうとうというか、ともかく一念発起で実家を出ることにした。
しかし今でも実家の8畳の和室にはわたしが使っていたベッドや家具が残っている。
わたしの本も大量にある。

実家に泊まるときはその部屋で寝る。
実家に住んでいる姉夫婦は、8畳の和室を『アサヒの部屋』といってくれる。
自分の錨になるものがそこにあるみたいで、嬉しい。

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