
エアコンの話

頼む、壊れないでくれ
わたしは集合住宅に一人暮らししている。すでに一人暮らし歴は10数年だ。
借りている部屋はワンルームと1Kの中間のような部屋だ。借りたときはすでに新築ではなかった。
なにがいいたいかというと、部屋に備えつけられているエアコンのことだ。
おそらく前の住人のときからエアコンは替えていないと思われる。結果、エアコンはけっこうな年代物となっていると思われる。なんせ前の住人のときX年とわたしが住むようになってからの10数年だ。エアコンの耐久年数が何年かについては詳しくないが、限界もそうは遠くないのではないだろうか。
エアコンを使う時期になるたびに、いつ壊れるかとひやひやしている。いや壊れたなら壊れたで管理会社にいえばどうにかしてもらえるのだろうが、-なんせ部屋に備えつけだ-その手間が面倒だし、修理なり取り替えなりをしてもらうまでの間、エアコンが使えないのは不便この上ない。
冬はまだいい。集合住宅は機密性がいいし、寒いのは炬燵をつけるなり服を着込むなりでなんとかなりそうだ。
問題は夏だ、機密性の良さがあだになって、かなり暑い。夏場は部屋にいる間は常にエアコンをつけっぱなしにしている。休日も部屋に引きこもっていることが多いので、そんなときは24時間つけっぱなしだ。そうでないと暑くて部屋にいることができない。
わたしが夏場のエアコン故障にどのくらい怯えているかおわかりいただけるだろうか。
壊れたのはリモコン
と、ここまでエアコン本体のことについて触れたが、実はいいたいのはエアコンのリモコンのことだったりする。
本体より先にリモコンが壊れたのだ。ある日突然リモコンの表示がおかしくなった。
エアコンは動いているが、リモコンが表示されない。表示されないということは、いま動いているのが暖房なのか冷房なのかそれともドライなのか、そして何度の設定温度になっているのかなどがまったくわからない。
エアコンが使えないことはないが、これはかなり不便だ。
面倒なことになった。
と思いつつ、しかたないので管理会社に電話した。部屋に備えつけの備品なので、リモコンといえど勝手にこちらで取り替えるわけにはいくまいと思ったのだ。
管理会社の人に、エアコンのリモコンが壊れたことを伝える。ついでにエアコン本体もいつ壊れるかひやひやしながら使っていることを伝える。
エアコンの交換もワンチャンありえるかと狙ったが、そんな甘いことはなかった。
後日、新しいリモコンが管理会社の青年の手により渡された。汎用性らしいリモコンには設定が必要だったらしく、機械音痴のわたしは、設定まで青年にお願いした。
新しいリモコンはすこぶる使い勝手がよく、わたしは喜んだ。
が、使っているうちに気がついたことがあった。
新しいリモコンではルーバーがほぼ反応しないのだ。(ようやくタイトルに関係ある話になってきた)
リモコンで電源を入れると、ルーバー(リモコンについている羽根のことだ)が開く。
風が吹きつける位置を調整したいと思ってリモコンで『風向』と書かれているボタンを押すが、ピっと音は鳴るのに、ルーバーは反応しない。リモコンには他にルーバーを動かせるようなボタンは存在しない。
ルーバーの位置をもうちょっと下にしたい、と思っても動かないのだ。
これがなんともじれったい。リモコンのボタンを押すたびに、ピっ、ピっと音は鳴るのにそれだけだ。
動かないものはしようがない、風が届いてほしい位置はそこじゃないんだよなあ、と思いつつ、一旦は諦めようと思った。
が、ひらめいた。リモコンで動かないのなら、手動で動かせばいいのだ、と。
なんでこんな簡単なことに気がつかなかったのか。
それから、わたしはエアコンをつけるたびにルーバーを手で動かして調整していた。
風をベストの位置に届かせるために一手間かけていたのだ。
手で動かしてはいけないらしい

ええ、そうなの?
そうやってエアコンを使うようになってどのくらいした頃だろうか。
ある日の夕飯時だったと思う。わたしはテレビを流し見していた。
どんな番組だったかすっかり忘れてしまったが、エアコンのルーバーを手で動かしていたせいでの故障が多い、という話をしていたのだ。
えええ、とわたしは驚いた。
驚いて、慌ててググってみた。
そうしたら、なんということでしょう。本当に、ルーバーを手動で動かすことはよくないらしい。ルーバーと連動しているモーターに負荷がかかってどうとかと書かれている。
どうしよう、けっこう何回も動かしてしまったよ。
調べたのがちょうどその時期のエアコンの使い終わりの頃だった。
もっと早く教えてくれよ、と思わないでもなかった。
だがしかし、知らないよりはよかろう。もうルーバーを手で動かすような真似はすまい。
たとえ風の吹く位置が微妙であったとしても、壊れるよりはいいだろう。
近い将来、ルーバーが反応しないリモコンをイラつきながら使っている自分の姿が見える。