ただより高いものは無い

円マークにこちゃん
ただより高いものは無い(ただよりたかいものはない)

ただで物をもらうと、お返しに金がかかったり、無理な頼み事も断れなくなったりして、かえって高くつくということ ── 新明解故事ことわざ辞典

トンデモ即売会の話

最初は浮かれていたよ


これはずいぶん以前の話だ。誰ですか、年寄りは昔話が好きだとか言ってる人は。
ことわざを『長幼の序』に変えたほうがいいですか?

それはともかくとして、その頃は迷惑営業とか迷惑勧誘とかに対する意識がさほど高くなかった。悪質な訪問販売も多かった。
これはわたしがその頃に体験した、トンデモ即売会の話だ。

福岡で、世界的に有名な日本人イラストレーターの展示会が開かれていた。友人にそのイラストレーターのファンがいたので、わたしと友人は無料の展示会だという場所へ足を運んだ。
タダであの人の絵が見られるなんてラッキーだね、と友人と盛り上がった。
見たい映画があったので、映画を見る前に展示会を見に行こうと、会場へ向かう。

展示会は商業ビルの一室で開かれていた。
さほど広いスペースではなかった。うーん、教室より狭いくらい?

会場は薄暗く、いきなり職業を聞かれる

行ってみてわかったのだが、それはリトグラフの展示会で、展示会というより展示即売会だった。
部屋の前に受付スペースが作られていて、受付にはひとりの女性がいた。
女性はわたしたちを迎える挨拶をした後で言った。

「ご職業はなんですか」
当時はわたしも友人も純粋な小娘だったので、質問の内容を不思議に思うことなく答える。
入社して間もなかったわたしは「会社員です」と答え、アルバイトをしていた友人は「アルバイトです」と答えた。

女性はわたしにだけ、百円硬貨サイズの丸いシールを渡し、これを腕に貼ってください、と言った。
今ならなんじゃそりゃと突っこむところだが、なんせ純粋な小娘時代なので、疑うこともなく丸いシールを服の上から腕に貼った。

展示会場はやけに薄暗かった。壁には布が張り巡らされていて、布の上に間隔を開けてリトグラフが展示されている。
リトグラフなので作品にはナンバーが振られている。作品によって作られている枚数もナンバーも異なっている。
そしてリトグラフはものすごく高価だった。

高額なリトグラフが展示されている。いや、展示されていない

世界的に有名なイラストレーターということは知っているが、A2かA3サイズくらいのリトグラフの、安いものでも80万円くらい。高いものなら200万円以上だ。
リトグラフってこんなに高いのか、とわたしは思った。
リトグラフの下にいくつか赤い丸いシールが貼られているものもある。売約済みの印だろう。

買う人いるんだなあと思いながら、わたしと友人は壁に飾られたリトグラフを見て回った。
薄暗い会場だったが、リトグラフにはライトが当てられていたと思う。

会場の中央にはテーブルが何台も用意されていて、そのうちのいくつかでは商談が行われているよう。来場者らしき人とスタッフらしき人が座っている。そしてテーブルの上にはリトグラフが置かれている。

壁にぽつぽつ空間があるのが不自然でなんだろうと思っていたのだが、壁からリトグラフをはずしてテーブルまで運んでいたらしい。
どうやら展示即売会の、即売会のほうに力が入っている催しのようだ。

現に、好きな小説の挿絵だったらしいリトグラフを友人が熱心に見ていても、スタッフが平気ではずしてテーブルに運んでいく。
あ、と小さく友人が声を出してもお構いなしだ。

テーブルで行われている商談で、スタッフが熱心に売りこんでいるのがわかる。
リトグラフを見て回っているわたしたちに、合間にスタッフが何度も声をかけてくる。
この絵はどうとか、とても人気がある作品でこうとか。
気が散るからちょっと黙っててください、と思うくらいだ。
そのくせ見ていると横からはずして持っていってしまう。

わたしはすでにカモだった。逃げるしかない

逃げるしかない!

ここまで来たらスタッフの狙いは一目瞭然というものだ。
我ながらお間抜けだと思うが、わたしは自分が腕に貼ったシールの意味がようやくわかった。
シールは蛍光シールだった。薄暗い会場で、そのシールはぺかぺかと光っている。

これは『わたしはローンを組めるカモですよ』シールだったのだ。
シールを剥ぎ取りたい衝動に駆られたが、スタッフの狙いに気づかないふりをするために、そのままにした。
残りのリトグラフはあと数点。
見終わったら声をかけようと、スタッフがタイミングを計っているのがわかる。
テーブルに座ったら最後だ。

友人はもっと見たかったようだが、最後の1点を見終わったタイミングで、出よう、と友人の腕を引っ張った。目の端で、スタッフが1歩足を踏み出していたのが見えた。

会場を出ると、さっきわたしにシールを渡した女性がいた。
さっさと会場を出てきたわたしたちをどう思ったかはわからないが、女性は、作品集もありますよ、と勧めてきた。
はがきサイズの作品集で、金額もやや高めだが手頃ではあった。なるほど、最後の売りこみ場所はここか。

わたしと友人は女性の圧に押されて、作品集の見本をぱらぱらとめくった。
女性がいろいろと話しかけるのをさえぎり、わざとらしく腕時計を見て声を上げる。
「あ、いけない、もう映画が始まる。急がないと」

女性が、ご予定があるのですか、と聞くのに、そうなんですう、と笑顔で返して、友人の腕を引いてさっさとその場を後にした。
受付に設置されていたゴミ箱に腕から剥がしたシールを捨てることは忘れなかった。

友人もヤバい場所だと気づいていたようだ。
実は映画まではまだ時間がたっぷりあったので、喫茶店で落ち着くことにしたのだが。
好きなイラストレーターだったから楽しみにしてたのに、と憤慨していた。
わたしも途中からは会場から逃げ出すことばかり考えていたので、ろくにリトグラフを鑑賞することができなかった。

「こんどまっとうな展示会が開催されたら、入場料を払って見に行こう」と友人と言い合った。

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