
会社にかかってきた電話
これはずいぶん以前にあった話だ。
だからもう書いてもいいよね、と思ったので書こう。
会社で1日に何十本もの外線電話を取っていると、数本は迷惑電話や迷惑ではないが謎な電話を取ることになる。
そのときかかってきた電話は後者だった。
最初に取ったのは後輩女子だ。後輩女子は怪訝な顔をしてわたしに聞いてきた。
「卵を扱っている会社からだといって、電話がかかっているんですが……」
卵?
会社の業種や業務に卵はまったく関係ない。
「ウチの社員の奥様がどうとか」
社員の奥様が卵? なんだそれ。
後輩女子の顔には『意味不明』と書かれている。
「なんていう会社から?」
聞くと、後輩女子は、名乗れないそうです、と答える。
なんだそれ再び。
そういったわけのわからない電話をなぜ後輩女子がわたしに回すかというと、わたしのひそかな特技が迷惑電話の撃退だからだろう。
わたしは後輩女子からその電話を引き継いだ。
受話器の向こうからは、予想に反して丁寧な女性の声が聞こえてきた。
卵を扱っている?

なにゆえ卵?
「わたくし卵を扱っている会社の者なのですが」
繰り返しになるが、会社の業務に卵はまったく関係ない。
例えるなら、書店へ行って「卵ありますか」と言っているようなものだろうか。
はい、ととりあえず相づちを打つわたしの声もいぶかしげに聞こえたことだろう。
女性の声は続く。
「お聞きしたいことがありましてお電話しました。申し訳ありませんが名前を名乗ることはできません」
お金はありませんが卵を売ってください、と言われた書店員さんになら、そのときのわたしの気持ちがわかるだろうか。
なまじ女性の声が丁寧で品があるだけに、警戒モードに入ることもできない。
女性の話を整理するとこうだ。
ある女性(タマコさんとしよう)が、自分の会社に面接を受けに来た。
採用するかどうかはまだ決まっていない。
タマコさんの夫はそちらの会社の社員だ。
タマコさんが仕事を始めた場合に、夫が会社からもらっている扶養手当が減額、あるいはカットされるのではないかと心配している。
タマコさんはそのあたりがわからないというので、代わりにわたしが電話をかけている。
タマコさんの採用がまだ未定なため、タマコさんや、そちらの社員であるタマコさんの夫の名前、当社の名前も名乗ることができない。
匿名で電話をかけてしまって申し訳ない、と電話の向こうで女性はえらく恐縮している。
そんなこともあるのか、と思える不思議な内容だった。
扶養手当というのは、おおざっぱにいえば、社員に配偶者や子供などの扶養家族がいる場合に会社が付与する手当だ。
もちろん会社によって手当のあるなし、金額の大小はあるだろう。
付与するにあたっての設定条件は就業規則を参照してほしい。
当然扶養家族がいない社員に手当がつくことはなく、わたしはその恩恵を受けたことはない。
タマコさんは、自分が仕事を始めて収入を得ることによって、夫の扶養手当に影響が出るのではないかと心配しているという。
その後先方と会社の扶養手当についてのやりとりをしたが、内容は割愛させてもらおう。
電話の向こうの女性は突然の匿名での電話をしきりに詫びていた。最後まで丁寧で感じ良かった。
が、応対を終え、電話を切って一拍おくと、今更だが猛烈に疑問が湧いてきた。
猛烈に湧いた疑問

いや、ないだろ……
例えばわたしが会社の面接担当者だったとしよう。
ひとりの女性が求人票を見て応募してきた。
面接をしていると女性が言う。
わたしが仕事をすることで夫の給料が減るかもしれないのが心配だ。
そう言われたらわたしはどう思うか。
答えはこうだ。
面接を受けに来る前に夫に確認しておけ。
応募してきた女性の夫の会社の給与形態がどうなっているかなど、こちらにはまったく関係のない話だからだ。
それにしても面接の場で、自分が仕事をすることによって夫の給料が減ったらどうしよう、などと言うものだろうか?
御社の仕事より夫の勤務先からの手当のほうが優先順位が上です、といっているようなものではないのか。
仕事のやる気を疑われることはなはだしい。
(これは夫の扶養控除内で働きたい、という話とはまた別物だ)
その場で即不採用決定、お引き取りください、となってもおかしくない。
なのに、心配でしたら、とばかりに採用未定女性の夫の勤務先にわざわざ問い合わせの電話をかける?
考えれば考えるほど腑に落ちない。
幸い電話機のディスプレイに先方の電話番号は表示されていた。
非通知ではなかったことが、警戒できなかった理由のひとつでもある。
わたしは記録されていた電話番号を呼び出し、ググってみることにした。
たいていの会社は電話番号で検索することができる。便利になったものだ。
検索結果はすぐに出た。
会社に電話をかけてきたのは○町役場だった。
あの電話は役場からだった?
役場からの電話だったのか
〈考えられる可能性の考察〉
1.○町役場では卵を売っている。
2.実は○町役場の敷地内には養鶏場がある。
3.○町役場では眠っている人材を掘り起こすプロジェクトを展開している。
対象は若者や女性、シニアと幅広く、彼ら、彼女らを就業の場へと送り出している。
これから仕事をしようという彼ら、彼女らのことを『卵』と称している。
〈考察に対する答え〉
1.今まで役場で卵を買ったことはない。
2.この場合、卵を扱っているというより、鶏を扱っているというべきではないだろうか。
3.個人的に主旨に賛同して応援する。
検討の余地はあるようだが、可能性が高いのは、
4.卵、タマコさんの面接などの話は全部フェイクで、単にウチの会社の扶養手当について知りたかった。
だろうか。
会社の名誉のためにも断言しておくが、いたって健全で堅実な会社なので、役場に探られて痛い腹はない。はずだ。詳しくは給与計算の担当者に聞いてください。
まるで嫁ひとすじなのに浮気の疑いをかけられた夫の気分だ。
嫁はいないが。
○町役場はいったいなぜこんな電話をかけてきたのだろうか。
怒らないから教えてほしい。
気になって何個卵を数えても眠れないのだよ。