それはわたし編

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りっちゃんの家

沖端朝日のヘタれなエッセイ。小学生の頃の友人の話。広い家と広い個室を持つりっちゃんの家へ、わたしはよく遊びに行っていた。りっちゃんの家からは船着き場がよく見えた。ある年、りっちゃんが引っ越しをして転校することになり、交わしていた手紙もいつしか途絶えてしまった。
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あなたがお客に出したものは

沖端朝日のヘタれなエッセイ。沖端の両親が来客に出した飲み物の話。ある日、父しか家にいないときに来客があった。父は来客にお茶を出したが、それはお茶ではなく、姉が作り置きしていた出汁だった。昔フィズをサイダーに入れて飲むことにハマっていた。母がフィズを入れて来客に飲み物を出した。
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原付とわたし

沖端朝日のヘタれなエッセイ。かなり長い期間、わたしは原付に乗っていた。無料の駐輪場に原付を置いていたときはよくいたずらをされた。パンクしたことは数え切れない。雨が降ったときはメットの内側のスポンジがびしょ濡れになり、かぶるとたらたらと背中に水滴が流れてきた。原付のトラブル話。
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マスクを忘れて外出した話

沖端朝日のヘタれなエッセイ。ある日の夕方、近くのドラッグストアへ買い物にでかけた。買い物途中で、自分がマスクをしていないことに気がついた。しまった、家にマスクを忘れてしまった! 焦るやら周囲が気になるやらでたちまち追いつめられていく自分の話。
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マスター、いつもの

沖端朝日のヘタれなエッセイ。沖端朝日には夢見ていたことがあった。なじみのこじゃれた店を作り、女将さんやイケオジのマスターに「いつもの」と注文をする。そしてゆったりとした大人の時間を過ごす。しかし現実は、仕事が終われば家へ直行するインドア生活だった。
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3姉妹の振袖

沖端朝日のヘタれなエッセイ。わたしは3姉妹の末っ子だ。上の姉が成人式前に振袖を誂えた。母の妹に仕立ててもらったその淡い色の美しい振袖は、3姉妹全員が折々に身に着けた。3姉妹が身に着けなくなってから、すでに長い年月が経つ。その振袖の想い出。
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スケートの(痛い)思い出

沖端朝日のヘタれなエッセイ。中学生のときに友人たちとスケートをしに行った。重いスケート靴を履いて、滑っているんだか転んでいるんだかという具合だったが、次第に慣れてきた。友人たちと横一列に並んで、手をつないで滑り始めた。ひとりが転び、つられて次々と転んでいく。わたしも転んだ。転んだ後に起きた悲劇。
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面倒くさがりなことは自覚している

沖端朝日のヘタれなエッセイ。わたしはめんどくさがりだ。女としてそのジャンルがめんどうなのはどうなんだ、と思われるところまでめんどくさがりぶりは及んでいる。そんなことをしているとおしゃれなママに「恋愛しなさい」と叱られる。「恋愛をする」に付属するあれこれを考えるだけで疲れてしまった。
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自室に固定電話を引いた頃の話

沖端朝日のヘタれなエッセイ。まだ携帯電話が影も形もなかった頃。自分の部屋には家の電話機の子機を置いていた。が、長電話をしているとなぜか母が勘づいて邪魔をしにくる。わたしは一念発起で部屋に専用の固定電話を引くことにした。わたしは浮かれたが、専用電話を引いたばかりに様々なことが起こる。
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スキーの思い出

沖端朝日のヘタれなエッセイ。高校の修学旅行は長野県でのスキーだった。雪にさほど縁のない福岡育ちなので、スキーをしたのはそのときが初めてだ。3日半ほどスキー場にいたと思うが、そのうち3日間はずっと吹雪。吹雪の中でスキー教室は行われた。そして雪の中へ顔から突っこんでいった。
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