午睡の夢
ある日の昼下がり、わたしはソファで昼寝をしていた。
不眠の気があるのが関係あるのかないのか、わたしは日中にふいに眠気がさすことが多い。そして昼寝で見る夢は奇妙なものが多い。
夢にはわたしの愛猫が現れた。愛猫はずいぶん前に虹の橋を渡ったが、夢に現れたのは久しぶりだ。ツンデレの愛猫はわたしにはツンの顔を見せることが多かった。というか、ほぼツンだった。
愛猫は実家で飼っていたのだが、実家に帰ったときに、「愛猫~!」と名前を呼んで駆け寄っても、「あ? あんた誰?」という顔で見られることが多かった。
ちょっと思い出して悲しくなった。
夢に話を戻そう。
誰しもそうかもしれないが、夢の中では認識がおかしくなる。
夢の中ではとっくに辞めた会社に勤めていたり、学生だったり、中学まで住んでいた古い家に住んでいたり、亡くなった親しい人が当たり前のようにそこにいたりする。
亡くなった友人が現れたときは、なぜ亡くなったのに友人がここにいるのだろうと不思議に思った。は、さてはこいつは自分が死んだことがわからなくて現れてしまったのか。
だとしたら、死んだことを思い出したら消えてしまうかもしれない。思い出させないようにしなくては、と焦っていた。
目が覚めてから、なぜそんなことを考えたのかとおかしかったが、夢の中でも友人の笑顔を見ることができたのが嬉しかった。
もっと登場してくれてもいいんやで
愛猫? でも若い
さて愛猫だが、正確に書くなら、夢の中でもそれは愛猫ではなかったかもしれない。
わたしは実家にいた。実家の庭(というほど広いものではないが)に一匹の猫が迷い込んできたのだ。
その猫は、毛皮の模様が、とても愛猫に似ていた。
そっくり、うり二つ、いや猫二匹だ。
懐かしいグレーのトラシマ模様。シマシマの尻尾。
愛猫そっくりのトラ猫は、抱き上げると腕の中でおとなしくしている。
猫の毛皮はふさふさのつやつやだった。大往生した愛猫とは異なり、まだ若い猫だとわかる。
この猫はもしや、と夢の中のわたしは思っていた。
もしや愛猫の子供か、あるいは孫だろうか、と。だってこんなに毛皮がそっくりだし。
もし夢の中のわたしを客観視しているわたしがいたら、いやまて、と突っ込んだだろう。
ほんの子猫のときに我が家に来た愛猫はしかるべきときに手術を受けている。
彼が子孫を残しているはずはないのだ。
しかし夢の中のわたしはそんなことは知ったこっちゃない。
あの子の子供か孫だ、と感激しているのだ。
これはウチで保護をしなくては、と興奮している。
愛猫が旅立ってからこっち、猫とのふれあいといえば友人宅の猫か町で見かけるフリーダムな猫かスマホの動画の中の猫だけだ。
腕の中で猫が丸まっているなんていったいいつぶりだろう。
愛猫そっくり!
愛猫の子孫(かもしれない)には首輪があった
しかしそこでわたしは気づく。
愛猫の子供(あるいは孫)らしいトラ猫の首には首輪がつけられていた。
鮮やかな黄色の首輪。わたしは愛猫には好んで赤い首輪をつけていたが、黄色い首輪もグレーの毛皮に良く映えている。
首輪がある。ということは、この子は飼い猫なのか。
ああ、飼い猫だからこんなにきれいな毛皮をしているのか。こんなにふくふくとした体をしているのか、とわたしは思う。
ようやくあの子が帰ってきたのに。
黄色い首輪をはずしてやりたくなったが、やはりそれはしてはいけない、と思った。
腕の中で愛猫によく似た猫はまだおとなしく丸まっている。
その体はどこまでも温かい。
それからどうしたかって?
そこで目が覚めてしまったのだよ。
グレーのトラ猫がいつまでわたしの腕の中にいたのか、いつ自分の家に帰ったのか、わたしは知らない。
いい夢を見たよ